長野県

尖石・与助尾根遺跡

とがりいし・よすけおねいせき

所在地長野県茅野市豊平南大塩外部リンクGooglemap

主な時代縄文時代

尖石・与助尾根遺跡(とがりいし・よすけおねいせき)は、八ヶ岳(やつがたけ)の西南のふもとにある縄文時代中期(じょうもんじだいちゅうき)のムラの跡(あと)です。八ヶ岳(やつがたけ)のふもとに広がる尾根の上は、縄文遺跡(じょうもんいせき)がたくさんあることで有名です。尖石・与助尾根遺跡(とがりいし・よすけおねいせき)は、別々にみつかった尖石遺跡(とがりいしいせき)と与助尾根遺跡(よすけおねいせき)が同じのムラだということで、2つを合わせて呼(よ)ぶようになりました。尖石遺跡(とがりいしいせき)の南斜面(しゃめん)には「とがりいしさま」と呼ばれる高さ1m余りの三角形のとがった石があり、縄文人が石器を研いだ石ともいわれ、遺跡(いせき)にこの名前がつきました。たて穴(あな)建物跡33軒(けん)、炉(ろ)の跡(あと)53ケ所や貯蔵穴(ちょぞうけつ)群(ぐん)、土器(どき)をうめた埋甕(うめがめ)などがみつかりました。ムラの中央には広場がありました。土器(どき)に比べて石器(せっき)の出土(しゅつど)数、とくに矢じりが非常に少ないので、弓矢ではなくワナでえものを捕(つか)まえたり、黒曜石(こくようせき)の交易(こうえき)をおこなっていたムラだという見方があります。北側にある与助尾根遺跡(よねすけおねいせき)は、たて穴建物跡(たてものあと)28軒(けん)がみつかり、土器(どき)や石器(せっき)がたくさん出土(しゅつど)し、1952年には、史跡(しせき)の中でも特に価値の高い特別史跡(とくべつしせき)に指定されました。

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  • 全景(与助尾根遺跡)

    全景(与助尾根遺跡)

  •   吊手土器(与助尾根遺跡)

      吊手土器(与助尾根遺跡)

  • 蛇体把手付深鉢形土器(尖石遺跡)

    蛇体把手付深鉢形土器(尖石遺跡)

現在の様子現在、「尖石縄文博物館」には2点の国宝「土偶」が展示(てんじ)されています。また、与助尾根遺跡(よすけおねいせき)では、森の中に6軒のたて穴建物が復元(ふくげん)されており、縄文時代(じょうもんじだい)にタイムスリップしたようです
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