全国こども考古学教室

岐阜県ぎふけん
  • 遺跡数11593か所
  • 面 積10621㎢
ふなっきー
岐阜県のマップ岐阜市歴史博物館岐阜県博物館堂之上遺跡炉畑遺跡荒尾南遺跡岐阜県文化財保護(ぎふけんぶんかざいほご)センター東町田墳墓群大垣市(おおがきし)の歴史民俗資料館象鼻山古墳群夕田茶臼山古墳昼飯大塚古墳琴塚古墳長塚古墳可児郷土歴史館こう峠口古墳乙塚古墳附段尻巻古墳池尻大塚古墳塚原遺跡野古墳群

岐阜県(ぎふけん)は日本列島(れっとう)のほぼ中央にあり、まわりを陸(りく)で囲(かこ)まれた海のない県です。面積の広さは全国10番目で、北部の飛騨(ひだ)地方と南部の美濃(みの)地方に分かれています。飛騨(ひだ)地方は、世界遺産(せかいいさん)になった白川郷(しらかわごう)で知られる自然豊かな山々がつづいています。美濃(みの)地方は揖斐川(いびがわ)・長良川(ながらがわ)・木曽川(きそがわ)がつくる肥沃(ひよく)な平野から広がっています。
また美濃(みの)地方は、現代でも新幹線(しんかんせん)や高速道路(こうそくどうろ)が通る東西交通のかなめの地であり、昔から川を利用した交通が盛(さか)んな土地でした。そのため、政治的にも経済的にも重要な場所であったと考えられます。古代から天皇家(てんのうけ)ともつながりが深い土地であり、672年の「壬申(じんしん)の乱(らん)」や1600年の「関ヶ原(せきがはら)の合戦(かっせん)」など、歴史上の有名なできごとの舞台(ぶたい)にもなっています。
古墳時代(こふんじだい)においては、岐阜県(ぎふけん)内では5140基(き)もの古墳(こふん)がつくられました。とりわけこの地方は、前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)ではなく、前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)が多いのが特徴です。岐阜県(ぎふけん)では、弥生時代(やよいじだい)の終わりごろにから、前方後方形(ぜんぽうこうほうけい)の墳丘墓(ふんきゅうぼ)が出現(しゅつげん)しており、それが古墳時代(こふんじだい)にも続いたと考えられます。前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)と前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)の合計は約80基で、もっともも大きな古墳は全長150mの昼飯大塚古墳(ひるいおおつかこふん)です。東海(とうかい)地方では最大級の前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)で、東日本のなかでは10番目の大きさとなります。この他に100mを越(こ)える古墳(こふん)としては、各務原市(かがみはらし)の坊の塚古墳(ぼうのづかこふん/全長120m・県史跡)と岐阜市(ぎふし)の琴塚古墳(ことづかこふん/全長115m・国史跡〈くにしせき〉)があります。
古墳時代後期(こふんじだいこうき)には、決まった範囲(はんい)に古墳(こふん)を密集(みっしゅう)してつくる群集墳(ぐんしゅうふん)が目だちます。代表的な群集墳(ぐんしゅうふん)に池田町の願成寺西墳之越古墳群(がんじょうじにしつかのこしこふんぐん/111基)・櫨山古墳群(はぜやまこふんぐん/75基)、本巣市(もとすし)の船来山古墳群(ふなきやまこふんぐん/約300基)があります。

うちのお宝 ベスト5

  • 下呂石(げろいし)

    下呂石(げろいし)大林遺跡(おおばやしいせき)

    下呂温泉(げろおんせん)の東に湯ヶ峰(ゆがみね)と呼ばれる山があります。ここは下呂石(げろいし)と呼ばれる石器(せっき)の材料となる石材が採(と)れることで有名です。下呂石(げろいし)は火山の溶岩(ようがん)が冷えて固(かた)まってできたもので、割(わ)れ口は鋭(するど)く、ナイフのようによく切れます。近くの大林遺跡(おおばやしいせき)では、こうした豊富(ほうふ)な下呂石(げろいし)を使った、縄文時代(じょうもんじだい)の初めごろのヤリ先の未完成品(みかんせいひん)がたくさんみつかっています。これらの石器(せっき)は、長野県(ながのけん)などの遺跡(いせき)でも発見されており、飛騨(ひだ)地方から各地に運ばれたことがわかります。

  • 大きな船を描(えが)いた弥生土器

    大きな船を描(えが)いた弥生土器荒尾南遺跡(あらおみなみいせき)

    弥生時代(やよいじだい)の終わりごろの方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)の溝(みぞ)から出土(しゅつど)した(つぼ)です。この(つぼ)には、大型船と2隻(せき)の帆(ほ)かけ船が描(えが)かれています。なかでも中央の大型船には、両側に多数の櫂(かい)が描(えが)かれ、船の先端(せんたん)、中央、いちばん後ろに、2本ずつの旗(はた)が立てられています。この絵画土器(かいがどき)については、墓に埋葬(まいそう)される人物の魂(たましい)を船に乗(の)せて運ぶという、お葬式(そうしき)用の土器(どき)なのか、あるいは実際の船を描(えが)いたものなのかなど、さまざまな説があります。

  • 割られた鏡(かがみ)

    割(わ)られた鏡(かがみ)美濃観音寺山古墳(みのかんのんじやまこふん) 県指定有形文化財

    弥生時代(やよいじだい)の終わりごろから古墳時代(こふんじだい)にかけての前方後方形(ぜんぽうこうほう)の墳丘墓(ふんきゅうぼ 全長約20m)から出土(しゅつど)した中国製の銅鏡(どうきょう)です。鏡(かがみ)には銘文(めいぶん)が刻(きざ)まれており、中国の新(8~23年)という王朝の時代に作られた鏡(かがみ)だとわかります。それが海を渡って、岐阜県(ぎふけん)まで伝わってきました。とても貴重品(きちょうひん)だったはずですが、墓(はか)に副葬(ふくそう)される直前に、当時の風習(ふうしゅう)に従って、わざと細かく割(わ)られました。どうして割(わ)ってしまったのでしょうね?

  • 輸入された初期の馬具(ばぐ)

    輸入された初期の馬具(ばぐ)中八幡古墳(なかはちまんこふん) 県指定有形文化財

    中八幡古墳(なかはちまんこふん)は、古墳時代中期(こふんじだいちゅうき 5世紀中頃)の前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん 全長約40m)です。ここからたくさんの武器(ぶき)や武具(ぶぐ)とともに出土(しゅつど)しました。日本列島(れっとう)に馬が伝わってきた頃の、日本では古い、数少ない馬具(ばぐ)の一つです。その特徴(とくちょう)から、中国の遼寧省(りょうねいしょう)から、朝鮮半島(ちょうせんはんとう)を通って日本列島(れっとう)に伝わったと考えられます。古墳(こふん)に埋葬(まいそう)された人は、この地域で最初に馬を飼(か)い、馬に乗(の)った人物だったと想像(そうぞう)することができます。

  • 鳥の飾(かざ)りがつく須恵器(すえき)

    鳥の飾(かざ)りがつく須恵器(すえき)宮之脇(みやのわき)11号墳

    古墳時代後期(こふんじだいこうき)の初めごろ(5世紀末〜6世紀初頭)の円墳(造出・全長約20m)から出土(しゅつど)した須恵器(すえき)です。もともとは脚(あし)がつく短頸壺(たんけいこ)と考えられ、胴(どう)の部分には4つの小さな(つぼ)と鳥の蓋(ふた)がつきます。こうした装飾付須恵器(そうしょくきすえき)とよばれる特別な須恵器(すえき)は、愛知県(あいちけん)で数多くみつかっていますが、岐阜県(ぎふけん)では珍(めずら)しいものです。また、鳥の羽根(はね)がどれも飛び立つように表現されている例は少なく、重要な資料です。

error: コンテンツは保護されています