富山県とやまけん
  • 遺跡数4,048か所
  • 面 積4,248㎢
バン爺
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富山県(とやまけん)は、北に日本海があり、それ以外は山でかこまれています。海から山までの距離(きょり)は短く、とくに立山(たてやま)には3,000m級の山々ばかりで、そこから流れ出る川は、国内でも珍しいほど流れが急になっています。このため、昔の人々が生活した跡(あと)があるところはわずかです。移動生活(いどうせいかつ)をしていた旧石器時代(きゅうせっきじだい)の遺跡(いせき)は数が少なく、山地または台地(だいち)にいくつか見られます。縄文時代(じょうもんじだい)の遺跡(いせき)は、古い時期は旧石器時代(きゅうせっきじだい)と同じように数が少なく、同じようなところにあります。縄文時代(じょうもんじだい)でも、定住生活(ていじゅうせいかつ)をするようになると、遺跡(いせき)がたくさん増え、低地(ていち)には貝塚(かいづか)、台地(だいち)には大きなムラをつくるようになります。米づくりをする弥生時代(やよいじだい)と古墳時代(こふんじだい)の遺跡(いせき)は、低地(ていち)にムラや田んぼ、台地(だいち)や山地に墓(はか)があります。
富山県(とやまけん)は日本海側にあり、遺跡(いせき)の数や発掘調査(はっくつちょうさ)の数が太平洋側の県と比べると少なく、これまでよく知られていませんでした。ところが最近(さいきん)、高速(こうそく)道路や新幹線(しんかんせん)などの工事の前に発掘調査(はっくつちょうさ)が多く行われ、低地(ていち)の遺跡(いせき)や貝塚(かいづか)、弥生時代(やよいじだい)から古墳時代(こふんじだい)のさまざまな墓(はか)など新しい発見が増え、太平洋側とは違った遺跡(いせき)のあり方がわかってきました。今後の発掘調査(はっくつちょうさ)と研究(けんきゅう)が楽しみな地域(ちいき)です。

うちのお宝 ベスト5

  • 旧石器(きゅうせっき)時代の石器

    旧石器(きゅうせっき)時代の石器立美遺跡(たつみいせき)

    県の南西部(なんせいぶ)、南砺市(なんとし)の立野ヶ原台地(たてのがはらだいち)の上にある遺跡(いせき)からみつかった石器(せっき)です。1974年に発掘調査(はっくつちょうさ)が行われ、約1,350点の石器(せっき)がみつかりました。時期は、旧石器時代(きゅうせっきじだい)後期です。石器(せっき)は、科学分析(かがくぶんせき)によって、富山県(とやまけん)から約540㎞はなれた、青森県深浦(ふかうら)でとれた黒曜石(こくようせき)であることがわかり、2017年に富山県(とやまけん)指定(してい)の有形文化財(ゆうけいぶんかざい)となりました。県内のほかの遺跡(いせき)からみつかった旧石器(きゅうせっき)時代の石器(せっき)が、地元(じもと)の石材(せきざい)を利用しているのに対し、かなり遠いところの石材(せきざい)を利用していることは、当時の人々の移動(いどう)の範囲(はんい)を考える上で重要な資料(しりょう)です。

  • 玦状(けつじょう)耳かざり

    玦状(けつじょう)耳かざり極楽寺遺跡(ごくらくじいせき)

    立山(たてやま)から続く山地の裾(すそ)付近にある遺跡(いせき)からみつかった石でつくった”C”の字のような耳かざり(ピアス)です。1963年に発掘調査(はっくつちょうさ)が行われ、縄文時代前期(じょうもんじだいぜんき)の初めの土器(どき)や石器(せっき)とともに、65点みつかりました。みつかった耳かざりは、すべて滑石製(かっせきせい)で、円盤状(えんばんじょう)のもの、穴(あな)をあけている途中(とちゅう)のもの、完全な形のもの、半分に割(わ)れてしまっているものがあります。これらは、耳かざりを作る順番(じゅんばん)を示すもので、作り方を明らかにしている、またとない資料(しりょう)です。玦状(けつじょう)耳かざりは、中国の玦(けつ)との関係が深いもので、耳かざりではないという意見もあります。

  • ヒスイの大珠(たいしゅ)

    ヒスイの大珠(たいしゅ)朝日貝塚(あさひかいづか) 国指定重要文化財

    1920年代に、道路工事中に地元(じもと)の研究者(けんきゅうしゃ)がみつけたものです。大珠(たいしゅ)とは、鰹節(かつおぶし)のような形をした垂飾り(たれかざり)です。長さ15.9㎝、幅(はば)4.7㎝、重さ471gでほぼ中央に穴(あな)をあけています。その大きさは国内最大(さいだい)で、材質(ざいしつ)は新潟県(にいがたけん)から富山県(とやまけん)の境(さかい)でとれるヒスイです。透明感(とうめいかん)のある白色に、ヒスイの緑色が筋(すじ)のように入る、すぐれた品で、1973年には国の重要文化財(じゅうようぶんかざい)に指定(してい)されています。朝日貝塚(あさひかいづか)から一緒にみつかった縄文土器(じょうもんどき)から、縄文時代中期(じょうもんじだいちゅうき)のおわりごろとみられます。ヒスイは、ひじょうに硬(かた)い材質(ざいしつ)で、それを加工(かこう)し、穴(あな)をあける当時の技術力(ぎじゅつりょく)には、目をみはるものがあります。

  • いろいろな玉

    いろいろな玉下老子笹川遺跡(しもおいごささがわいせき)

    下老子笹川遺跡(しもおいごささがわいせき)からみつかった細長い円筒形(えんとうけい)のくだ玉まが玉など、弥生時代(やよいじだい)のアクセサリーである玉製品(せいひん)です。玉製品(せいひん)には、完成品とその作りかけの品や失敗品など、玉を作る順番がわかるものがたくさんあります。とくに重要なのは、弥生時代中期(やよいじだいちゅうき)と後期(こうき)の、作り方がことなる2つの時期の資料(しりょう)が、工房(こうぼう)とみられるたて穴建物からまとまってみつかっていることです。玉をつくる石材(せきざい)には、鉄石英(てつせきえい)とよばれる赤い石、グリーンタフとよばれる緑色の石の2種類があり、玉を作るのに必要な、石に穴(あな)をあける針(はり)や石をみがく砥石(といし)などもみつかっています。弥生時代(やよいじだい)の玉つくりを考える上で、貴重(きちょう)な資料(しりょう)です。

  • いろいろな玉

    いろいろな玉浜山玉つくり遺跡(はまやまたまつくりいせき)

    新潟県(にいがたけん)との境(さかい)に近い山地の裾(すそ)からみつかった玉製品(せいひん)です。1967・1968年に発掘調査(はっくつちょうさ)が行われ、玉を作る工房(こうぼう)とみられるたて穴建物から古墳時代中期(こふんじだいちゅうき)のまが玉くだ玉などがみつかりました。ヒスイ製品(せいひん)には、表面に溝(みぞ)を切って分割(ぶんかつ)して作り出す浜山技法(はまやまぎほう)とよばれる作り方が採用(さいよう)されています。ヒスイのほかには、滑石(かっせき)などが使われ、完成品や作る途中(とちゅう)のもの、砥石(といし)や鉄針(てつばり)などそれをつくる道具までみつかっており、古墳時代(こふんじだい)の玉つくりを考える上で貴重(きちょう)な資料(しりょう)です。

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