埼玉県さいたまけん
  • 遺跡数9,856か所
  • 面 積3,798㎢
のっそりー&はーとん
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埼玉県(さいたまけん)は、面積は全国で39番目ですが、人口密度(みつど)は全国で第5位です。また川の多い県としても知られ、有名な利根川(とねがわ)や荒川(あらかわ)のほかに、たくさんの川が流れていて、縄文時代(じょうもんじだい)から、船を使った交流がさかんに行われていたようです。今は「海なし県」ですが、縄文時代(じょうもんじだい)には、埼玉県(さいたまけん)まで海が入りこんでいて、人々が生活の場として利用していました。たくさん残された貝塚(かいづか)は、何よりの証拠(しょうこ)です。埼玉県(さいたまけん)の縄文時代(じょうもんじだい)の遺跡(いせき)には、考古学(こうこがく)の研究(けんきゅう)の歴史のなかで有名な遺跡(いせき)がたくさんあります。弥生時代(やよいじだい)や古墳時代(こふんじだい)には、米づくりが始まりました。そのような遺跡(いせき)では、木製(もくせい)の農具や田んぼに水を引くための施設(しせつ)などがみつかっています。そして、やがては、埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)に代表されるような、大きな古墳(こふん)が作られるようになりました。なかでも、稲荷山古墳(いなりやまこふん)から出土(しゅつど)した鉄の剣(けん)は、わが国の古代史(こだいし)を考えるためのすばらしい資料(しりょう)といってもよいでしょう。

うちのお宝 ベスト5

  • 細石刃(さいせきじん)など

    細石刃(さいせきじん)など白草遺跡(しらくさいせき)

    旧石器時代(きゅうせっきじだい)終わり頃(ごろ)の石器(せっき)で、写真の石器(せっき)がたくさんみつかったことで知られています。写真上段、左側の細長い石器(せっき)が、細石刃(さいせきじん)と呼(よ)ばれる石器(せっき)です。この石器(せっき)は、木の枝(えだ)や骨(ほね)でつくった軸(じく)に埋(う)めこんで使われたと考えられています。右側が、細石刃(さいせきじん)をはがし取るための石核(せっかく)とよばれる素材(そざい)です。下段は、彫器(ちょうき)、削器(さっき)、掻器(そうき)と呼(よ)ばれる石器(せっき)で、細石刃(さいせきじん)を埋(う)め込むための溝(みぞ)を彫(ほ)ったり、木を削(けず)ったり皮をなめしたりするのに使われたと考えられます。

  • ミミズクの土偶(どぐう)

    ミミズクの土偶(どぐう)赤城遺跡(あかぎいせき)

    高さが30㎝を超(こ)える大型で、中が空洞(くうどう)のミミズク土偶(どぐう)です。顔の形が鳥のミミズクに似ていることから、この名前が付けられました。ミミズク土偶(どぐう)は、縄文時代後期(じょうもんじだいこうき)の終わりごろから晩期(ばんき)にかけて、関東(かんとう)地方で作られていますが、写真の土偶(どぐう)は晩期(ばんき)のものです。頭には髪(かみ)が表現されています。顔の横の耳に当たる部分につけられた丸いもの(物)は、耳飾(みみかざ)りを表現したものと考えられます。ミミズク土偶(どぐう)には、中が空洞(くうどう)で大きいものと、中がつまっていて小さいものがあります。

  • 亀の形の土製品(どせいひん)

    亀の形の土製品(どせいひん)東北原遺跡(ひがしきたはらいせき) 県指定有形文化財

    丸みをもった、中が空洞(くうどう)の胴体(どうたい)に、首と顔がつき、両側には前足と後ろ足が表現されています。顔は三角形で、鼻と口が線で表現されています。前足はひれのように表現され、後ろ足は折(お)り曲げたようになっています。尻尾(しっぽ)が付けられていたようですがが、欠けていて、形がわかりません。背中(せなか)から胸(むね)にかけて、貫通(かんつう)した穴(あな)があいています。線や彫刻的(ちょうこくてき)なやり方で模様(もよう)が描(えが)かれ、縄文(じょうもん)が加えられています。全体が赤くぬられていたようです。全長24.2㎝、幅(はば)が15.5㎝あります。似た例は、北海道(ほっかいどう)や東北(とうほく)地方からもみつかっていて、水鳥や海にすむ哺乳類(ほにゅうるい)をまねたものとする意見もあります。お祭りに使われた道具のひとつと考えられます。

  • 弥生土器(やよいどき)

    弥生土器(やよいどき)北島遺跡(きたじまいせき)

    北島遺跡(きたじまいせき)からは、弥生時代(やよいじだい)中ごろの土器(どき)がたくさんみつかっています。器(うつわ)の形は、(つぼ)や(かめ)が多く、住居(たて穴建物)の跡(あと)でも墓(はか)でもみつかっており、煮炊(にた)き用の土器(どき)とともに、埋葬(まいそう)に使われたものと考えられます。これほどまとまった資料(しりょう)は、県内では他に例をみないほどです。棒(ぼう)のような工具で三角や四角の模様(もよう)が付けられているものが多く、赤く色が塗(ぬ)られたものもあります。弥生土器(どき)の研究(けんきゅう)に重要な資料(しりょう)で、その特徴(とくちょう)から北島式土器(きたじましきどき)とよばれています。

  • 水晶玉(すいしょうだま)の未製品(みせいひん)と破片(はへん)

    水晶玉(すいしょうだま)の未製品(みせいひん)と破片(はへん)反町遺跡(そりまちいせき)

    古墳時代前期(こふんじだいぜんき)の水晶玉(すいしょうだま)を作る工房跡(こうぼうあと)からみつかった水晶玉(すいしょうだま)の作りかけの未製品(みせいひん)と破片(はへん)です。材料となる石には、山梨県(やまなしけん)の水晶(すいしょう)が使われていました。わざわざ水晶(すいしょう)を取りよせて、製品(せいひん)を作っていたと考えられます。未製品(みせいひん)と破片(はへん)を細かく調べた結果、まが玉を作っていたと考えられ、その作り方を明らかにすることができました。完成した製品(せいひん)は、遺跡(いせき)から運び出されたためか、残っていませんでした。当時の有力者(ゆうりょくしゃ)が使うために作られたのでしょうか。この工房(こうぼう)跡(あと)では、遺跡(いせき)の近くで採(と)れる緑色の石を使ってくだ玉も作っていて、こちらも作り方を明らかにすることができました。

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