全国こども考古学教室

埼玉県さいたまけん
  • 遺跡数11311か所
  • 面 積3798㎢
のっそりー&はーとん
埼玉県のマップ埼玉県立歴史と民俗の博物館岩槻郷土資料館浦和博物館水子貝塚資料館鴻沼資料館さいたま市立博物館埼玉県立さきたま史跡の博物館デーノタメ遺跡水子貝塚黒浜貝塚白草遺跡将監塚遺跡・古井戸遺跡北島遺跡砂川遺跡雅楽谷遺跡真福寺貝塚後谷遺跡池上遺跡高麗石器時代住居跡遺跡反町遺跡埼玉古墳群

埼玉県(さいたまけん)は、面積は全国で39番目ですが、人口密度(みつど)は全国で第5位です。また川の多い県としても知られ、有名な利根川(とねがわ)や荒川(あらかわ)のほかに、たくさんの川が流れていて、縄文時代(じょうもんじだい)から、船を使った交流がさかんに行われていたようです。今は「海なし県」ですが、縄文時代(じょうもんじだい)には、埼玉県(さいたまけん)まで海が入りこんでいて、人々が生活の場として利用していました。たくさん残された貝塚(かいづか)は、何よりの証拠(しょうこ)です。埼玉県(さいたまけん)の縄文時代(じょうもんじだい)の遺跡(いせき)には、考古学(こうこがく)の研究(けんきゅう)の歴史のなかで有名な遺跡(いせき)がたくさんあります。弥生時代(やよいじだい)や古墳時代(こふんじだい)には、米づくりが始まりました。そのような遺跡(いせき)では、木製(もくせい)の農具や田んぼに水を引くための施設(しせつ)などがみつかっています。そして、やがては、埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)に代表されるような、大きな古墳(こふん)が作られるようになりました。なかでも、稲荷山古墳(いなりやまこふん)から出土(しゅつど)した鉄の剣(けん)は、わが国の古代史(こだいし)を考えるためのすばらしい資料(しりょう)といってもよいでしょう。

うちのお宝 ベスト5

  • 細石刃(さいせきじん)など

    細石刃(さいせきじん)など白草遺跡(しらくさいせき)

    旧石器時代(きゅうせっきじだい)終わり頃(ごろ)の石器(せっき)で、写真の石器(せっき)がたくさんみつかったことで知られています。写真上段、左側の細長い石器(せっき)が、細石刃(さいせきじん)と呼(よ)ばれる石器(せっき)です。この石器(せっき)は、木の枝(えだ)や骨(ほね)でつくった軸(じく)に埋(う)めこんで使われたと考えられています。右側が、細石刃(さいせきじん)をはがし取るための石核(せっかく)とよばれる素材(そざい)です。下段は、彫器(ちょうき)、削器(さっき)、掻器(そうき)と呼(よ)ばれる石器(せっき)で、細石刃(さいせきじん)を埋(う)め込むための溝(みぞ)を彫(ほ)ったり、木を削(けず)ったり皮をなめしたりするのに使われたと考えられます。

  • ミミズクの土偶(どぐう)

    ミミズクの土偶(どぐう)赤城遺跡(あかぎいせき)

    高さが30㎝を超(こ)える大型で、中が空洞(くうどう)のミミズク土偶(どぐう)です。顔の形が鳥のミミズクに似ていることから、この名前が付けられました。ミミズク土偶(どぐう)は、縄文時代後期(じょうもんじだいこうき)の終わりごろから晩期(ばんき)にかけて、関東(かんとう)地方で作られていますが、写真の土偶(どぐう)は晩期(ばんき)のものです。頭には髪(かみ)が表現されています。顔の横の耳に当たる部分につけられた丸いもの(物)は、耳飾(みみかざ)りを表現したものと考えられます。ミミズク土偶(どぐう)には、中が空洞(くうどう)で大きいものと、中がつまっていて小さいものがあります。

  • 亀の形の土製品(どせいひん)

    亀の形の土製品(どせいひん)東北原遺跡(ひがしきたはらいせき) 県指定有形文化財

    丸みをもった、中が空洞(くうどう)の胴体(どうたい)に、首と顔がつき、両側には前足と後ろ足が表現されています。顔は三角形で、鼻と口が線で表現されています。前足はひれのように表現され、後ろ足は折(お)り曲げたようになっています。尻尾(しっぽ)が付けられていたようですがが、欠けていて、形がわかりません。背中(せなか)から胸(むね)にかけて、貫通(かんつう)した穴(あな)があいています。線や彫刻的(ちょうこくてき)なやり方で模様(もよう)が描(えが)かれ、縄文(じょうもん)が加えられています。全体が赤くぬられていたようです。全長24.2㎝、幅(はば)が15.5㎝あります。似た例は、北海道(ほっかいどう)や東北(とうほく)地方からもみつかっていて、水鳥や海にすむ哺乳類(ほにゅうるい)をまねたものとする意見もあります。お祭りに使われた道具のひとつと考えられます。

  • 弥生土器(やよいどき)

    弥生土器(やよいどき)北島遺跡(きたじまいせき)

    北島遺跡(きたじまいせき)からは、弥生時代(やよいじだい)中ごろの土器(どき)がたくさんみつかっています。器(うつわ)の形は、(つぼ)や(かめ)が多く、住居(たて穴建物)の跡(あと)でも墓(はか)でもみつかっており、煮炊(にた)き用の土器(どき)とともに、埋葬(まいそう)に使われたものと考えられます。これほどまとまった資料(しりょう)は、県内では他に例をみないほどです。棒(ぼう)のような工具で三角や四角の模様(もよう)が付けられているものが多く、赤く色が塗(ぬ)られたものもあります。弥生土器(どき)の研究(けんきゅう)に重要な資料(しりょう)で、その特徴(とくちょう)から北島式土器(きたじましきどき)とよばれています。

  • 水晶玉(すいしょうだま)の未製品(みせいひん)と破片(はへん)

    水晶玉(すいしょうだま)の未製品(みせいひん)と破片(はへん)反町遺跡(そりまちいせき)

    古墳時代前期(こふんじだいぜんき)の水晶玉(すいしょうだま)を作る工房跡(こうぼうあと)からみつかった水晶玉(すいしょうだま)の作りかけの未製品(みせいひん)と破片(はへん)です。材料となる石には、山梨県(やまなしけん)の水晶(すいしょう)が使われていました。わざわざ水晶(すいしょう)を取りよせて、製品(せいひん)を作っていたと考えられます。未製品(みせいひん)と破片(はへん)を細かく調べた結果、まが玉を作っていたと考えられ、その作り方を明らかにすることができました。完成した製品(せいひん)は、遺跡(いせき)から運び出されたためか、残っていませんでした。当時の有力者(ゆうりょくしゃ)が使うために作られたのでしょうか。この工房(こうぼう)跡(あと)では、遺跡(いせき)の近くで採(と)れる緑色の石を使ってくだ玉も作っていて、こちらも作り方を明らかにすることができました。

error: コンテンツは保護されています