全国こども考古学教室

沖縄県おきなわけん
  • 遺跡数4071か所
  • 面 積2281㎢
まいぞう君
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沖縄県(おきなわけん)は、日本の南西部に位置する離島(りとう)の県で、東西約1000km、南北約400kmの広大な海域に、大小160の島々があります(有人島47・無人島113)。島の周辺には珊瑚礁(さんごしょう)が発達(はったつ)し、豊かな漁場(ぎょじょう)となっています。古代(こだい)には、食料や水を手に入れやすい海岸線ぞいに、人々はくらしていました。
島々の多くは、琉球石灰岩(りゅうきゅうせっかいがん)でできており、石灰岩(せっかいがん)の洞穴(どうけつ)から、旧石器時代(きゅうせっきじだい)の人骨(じんこつ)が数多く出土(しゅつど)しています。これに続く時代の文化の特徴(とくちょう)として、沖縄(おきなわ)は九州よりはるか南の島国なので、日本列島(れっとう)の他の地域(ちいき)の歴史と異(こと)なる道を歩むことがあげられます。
縄文時代(じょうもんじだい)、沖縄島(おきなわじま)のあたりは、九州南部の縄文文化(じょうもんぶんか)の影響(えいきょう)を受けますが、南の宮古(みやこ)・八重山諸島(やえやましょとう)には縄文文化(じょうもんぶんか)は伝わらず、独自(どくじ)の文化が広まります。
その後の沖縄(おきなわ)には、弥生文化(やよいぶんか)や古墳文化(こふんぶんか)は伝わらず、独自(どくじ)の狩猟採集(しゅりょうさいしゅう)文化が広がります。このように、沖縄の古代文化は、他の地域(ちいき)と一部異なり、さらに沖縄県(おきなわけん)の中でも、沖縄島周辺(おきなわじましゅうへん)と宮古・八重山諸島(みやこ・やえやましょとう)とでは異(こと)なる文化をもっていました。

うちのお宝 ベスト5

  • 旧石器時代(きゅうせっきじだい)の人骨(じんこつ)

    旧石器時代(きゅうせっきじだい)の人骨(じんこつ)白保竿根田原洞穴遺跡(しらほさおねたばるどうけついせき)

    石垣市(いしがきし)にある白保竿根田原洞穴遺跡(しらほさおねたばるどうけついせき)からは、今から27000年から16000年前の、旧石器時代(きゅうせっきじだい)の人骨(じんこつ)の破片(はへん)が約1100点、約20人分が出土(しゅつど)しています。このうち、残りのよい男性人骨(だんせいじんこつ)4体を復元(ふくげん)し、白保1号~4号人骨(しらほいちごう~よんごうじんこつ)としました。推定身長(すいていしんちょう)は165㎝前後と港川人(みなとがわじん)の155㎝より高く、頭骨(とうこつ)の特徴(とくちょう)は、琉球列島(りゅうきゅうれっとう)よりも南の地域の人々に近いことがわかっています。このうち4号人骨(よんごうじんこつ)は、頭骨(とうこつ)のデジタル復元(ふくげん)データをもとに粘土(ねんど)による肉付けを行い、顔を復元(ふくげん)することに成功しました。

  • 世界最古のつり針(ばり)

    世界最古のつり針(ばり)サキタリ洞遺跡(さきたりどういせき)

    南城市(なんじょうし)にあるサキタリ洞遺跡(さきたりどういせき)からは、ニシキウズ科の海産巻貝(かいさんまきがい)を加工して作られた、全長1.4㎝のつり針(ばり)が出土(しゅつど)しています。出土(しゅつど)した地層(ちそう)は、年代測定(ねんだいそくてい)により今から約23000年前という結果が得られ、世界最古(せかいさいこ)のつり針(ばり)として発表(はっぴょう)されました。同じ地層(ちそう)からは完成品のほかに、作りかけの未完成品(みかんせいひん)や材料(ざいりょう)の貝のカケラも出土(しゅつど)しており、洞穴(どうけつ)内でつり針(ばり)が作られていた可能性(かのうせい)があります。また、ウナギやアイゴの骨(ほね)が出土(しゅつど)していることから、当時の人たちは、これらの魚を釣(つ)って食べていたのかもしれません。

  • 線刻画石柱(せんこくがせきちゅう)

    線刻画石柱(せんこくがせきちゅう)平敷屋トウバル遺跡(へしきやとうばるいせき)

    うるま市にある平敷屋トウバル遺跡(へしきやとうばるいせき)からは、不思議なものが出土(しゅつど)しています。線刻画石柱(せんこくがせきちゅう)は、縄文時代後期(じょうもんじだいこうき)のムラの跡(あと)から出土(しゅつど)した石製品(せきせいひん)です。長さ87㎝、幅(はば)23㎝、重さ10㎏の板状の砂岩製(さがんせい)で、表面には何やら複雑(ふくざつ)なもようがきざまれています。そのもようと形は、当時の沖縄島周辺(おきなわじましゅうへん)や奄美諸島(あまみしょとう)で利用されていた土器(どき)とよく似ています。これをどのように使ったのかについてはわかっていませんが、海岸付近でひろわれていることから、航海安全(こうかいあんぜん)などの祈りの道具として使われていたのかもしれません。

  • チョウチョの形の骨器(こっき)

    チョウチョの形の骨器(こっき)吹出原遺跡(ふきだしばるいせき)

    沖縄(おきなわ)の縄文文化(じょうもんぶんか)を特徴(とくちょう)づける出土品(しゅつどひん)のひとつに、蝶形骨器(ちょうがたこっき)があります。文字どおりチョウチョの形をしたもので、多くはジュゴンの骨(ほね)で作られています。1個で蝶形(ちょうがた)になる資料(しりょう)と、いくつかの部品を組みあわせるタイプがあります。一部の資料(しりょう)には朱色(しゅいろ)の顔料(がんりょう)が残ることから、当初は多くが朱色(しゅいろ)にぬられていたと考えられます。ここで紹介した資料(しりょう)は、読谷村(よみたんそん)の吹出原遺跡(ふきでばるいせき)から出土(しゅつど)したものです。蝶形骨器(ちょうがたこっき)は、出土数(しゅつどすう)が少ないことから、単なるアクセサリーではなく、つける人の身分や宗教(しゅうきょう)を示す特別な品(しな)と考えられています。

  • シャコガイで作った斧(おの)

    シャコガイで作った斧(おの)浦底遺跡(うらそこいせき)

    縄文(じょうもん)や弥生(やよい)の文化(ぶんか)が伝わらなかった宮古(みやこ)・八重山諸島(やえやましょとう)、先島諸島(さきしましょとう)では、より南方の地域(ちいき)にルーツをもつ文化(ぶんか)が広がります。その代表的な資料(しりょう)が、このシャコガイ製の斧(おの)です。浦底遺跡(うらそこいせき)がある宮古島(みやこじま)では、石斧(いしおの)を作るのに適(てき)した、かたい石材(せきざい)がないことから、大型のシャコガイを割(わ)って磨(みが)いた斧(おの)、貝斧(かいふ)を作りました。浦底遺跡(うらそこいせき)からは、貝斧(かいふ)が約200点出土(しゅつど)していますが、大きさや刃(は)の形が何種類もあることから、用途(ようと)によって使い分けていたと考えられます。

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