全国こども考古学教室

愛媛県えひめけん
  • 遺跡数4063か所
  • 面 積5676㎢
ふんどう君
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愛媛県(えひめけん)内の確認(かくにん)されている遺跡(いせき)数は4012か所、そのうち弥生時代遺跡(やよいじだいいせき)が784か所ともっとも多く、ついで縄文時代遺跡(じょうもんじだいいせき)の350か所、古墳時代遺跡(こふんじだいいせき)305か所と続きます。
四国(しこく)の西半分、瀬戸内(せとうち)の中西部(ちゅうせいぶ)から豊後水道(ぶんごすいどう)、そして太平洋にいたるまでの海岸が広がる愛媛県(えひめけん)は、海をつうじてさまざまな交流がありました。縄文時代(じょうもんじだい)の晩期(ばんき)から弥生時代(やよいじだい)にかけて土器(どき)や石器(せっき)、そして鉄器(てっき)において朝鮮半島(ちょうせんはんとう)や大陸(たいりく)とのつながりを示すものが多く出土(しゅつど)しています。そうした活発な交流の中心となるような遺跡(いせき)として文京遺跡(ぶんきょういせき)があります。陶質土器(とうしつどき)や古い須恵器(すえき)生産など、古墳時代(こふんじだい)になっても、朝鮮半島(ちょうせんはんとう)との密接(みっせつ)な交流が続いていきます。とくに松山平野(まつやまへいや)は、各時代を通して瀬戸内海(せとないかい)をとおる人や物の動きの玄関口(げんかんぐち)として、重要(じゅうよう)な役割(やくわり)をになっていました。

うちのお宝 ベスト5

  • 縄文(じょうもん)のビーナス

    縄文(じょうもん)のビーナス上黒岩岩陰遺跡(かみくろいわかげいせき)

    最初に見た時、「こんなに小さいものか」と感じました。長さ約5cmで、手のひらにおさまるサイズです。その川原石(かわらいし)には、長い髪・大きな乳房(ちぶさ)・こしみのなどが表現され、女性をえがいたものだと考えられます。この線がえがかれた石偶(せきぐう)は、縄文(じょうもん)ビーナス、あるいは女神石(めがみいし)とよばれています。遠い昔、縄文人(じょうもんじん)がこれを手のひらにのせて、子孫(しそん)の繁栄(はんえい)や家族の無事(ぶじ)、平和なくらしを祈(いの)ったのではないでしょうか。

  • 中国製の鋳造鉄器(ちゅうぞうてっき)

    中国製の鋳造鉄器(ちゅうぞうてっき)大久保遺跡(おおくぼいせき)

    この鉄器(てっき)は、中国の春秋戦国時代(しゅんじゅうせんごくじだい)の「燕(えん)」という地域(ちいき)、いまの北京(ぺきん)から遼東半島(りゃおとうはんとう)あたりでつくられたものです。それが、大久保遺跡(おおくぼいせき)で、貯蔵穴(ちょぞうけつ)から弥生土器(やよいどき)といっしょに出土(しゅつど)しました。いっしょに出た土器(どき)の年代から、日本最古級(さいこきゅう)の鉄器(てっき)として、注目されています。弥生人(やよいじん)は、この鉄器をさらに加工(かこう)して、小さな刃物(はもの)をつくりました。日本列島(れっとう)で鉄器が使われはじめるころの様子を知ることができます。

  • 石でつくった指輪(ゆびわ)

    石でつくった指輪(ゆびわ)久枝Ⅱ遺跡(ひさえだにいせき)

    西条市(さいじょうし)の久枝Ⅱ遺跡(ひさえだにいせき)で、弥生時代中期(やよいじだいちゅうき)の、祭りにつかう道具などをうめた穴から出土(しゅつど)しました。蛇紋岩(じゃもんがん)という石でつくられており、直径2.2cm、厚さ3mm、重さ1.07gです。この指輪(ゆびわ)は、中国の影響(えいきょう)をうけて作られたものと考えられます。この指輪は、ムラの有力者のアクセサリーであっただけではなく、朝鮮半島(ちょうせんはんとう)や中国大陸(ちゅうごくたいりく)との交流を物語(ものがた)っています。

  • 大型器台(きだい)2点

    大型器台(きだい)2点北井門遺跡(きたいどいせき) 県指定有形文化財

    松山市(まつやまし)の北井門遺跡(きたいどこふん)でみつかった弥生時代後期(やよいじだいこうき)の大型器台(おおがたきだい)は、ほぼ同じ形と大きさで作られていて、高さは71.4〜71.7cmとわずか3mmの差しかありません。祭り用の土器(どき)と考えられるこの大型器台(おおがたきだい)は、2つをならべて鑑賞(かんしょう)すると、見ていて飽(あ)きがこないすぐれた弥生土器(やよいどき)です。

  • 陶質(とうしつ)土器(どき)2点

    陶質(とうしつ)土器(どき)2点猿ヶ谷2号墳(さるがたに2ごうふん)

    伊予市(いよし)の猿ヶ谷2号墳(さるがたに2ごうふん)から、完全な形の朝鮮半島(ちょうせんはんとう)の陶質土器(とうしつどき)2点が出土(しゅつど)しました。1点は小さな(つぼ)、もう1点は小さな器台(きだい)で、この2つがセットになっています。この土器(どき)は、朝鮮半島(ちょうせんはんとう)の三国時代(さんごくじだい)の加耶(かや)諸国のなかの「阿羅伽耶(あらかや)」とよばれる国(現在の韓国〈かんこく〉の南端の地域〈ちいき〉)から持ちこまれたものと考えられます。

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