新潟県にいがたけん
  • 遺跡数13,651か所
  • 面 積12,584㎢
まいぶんちゃん
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新潟県(にいがたけん)は、面積は全国5番目の大きさで、古代(こだい)の国の名でいえば、越後国(えちごのくに)と離島(りとう)の佐渡国(さどのくに)からなりたっています。本州側の海岸線は約330㎞と南北に長く、長野県(ながのけん)・福島県(ふくしまけん)から流れてくる信濃川(しなのがわ)・阿賀野川(あがのがわ)といった大きな川が日本海に注(そそ)ぎます。新潟県(にいがたけん)は、北陸(ほくりく)地方、関東(かんとう)地方、甲信越(こうしんえつ)地方、東北(とうほく)地方など、いろいろな地域(ちいき)でよばれますが、これはさまざまな文化が交わるためで、大昔からの特徴(とくちょう)です。縄文土器(じょうもんどき)でただ一つの国宝(こくほう)である火焔型土器(かえんがたどき)は、さまざまな地域(ちいき)の要素(ようそ)が結びついた、新潟県(にいがたけん)のオリジナル品です。また、ヒスイの原産地(げんさんち)である新潟県(にいがたけん)糸魚川市(いといがわし)を中心に、縄文時代(じょうもんじだい)にヒスイを加工(かこう)したアクセサリー生産(せいさん)が行われ、全国に広まりました。弥生時代(やよいじだい)には、ヒスイや、緑色・赤色などの石製(せきせい)のアクセサリーが、県内各地で生産(せいさん)されます。弥生時代(やよいじだい)の戦いにそなえたムラとされる高地にある環濠集落(かんごうしゅうらく)、古墳時代(こふんじだい)の前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)があって、西日本からの情報(じょうほう)がダイレクトに伝わる、日本海側でもっとも北の地といえます。また、北海道の土器(どき)が見つかるもっとも南の地でもあり、さまざまな文化が行きかう特別な地域(ちいき)といえます。

うちのお宝 ベスト5

  • 細石刃石器群(さいせきじんせっきぐん)

    細石刃石器群(さいせきじんせっきぐん)樽口遺跡(たるくちいせき) 県指定文化財

    山形県の境(さかい)近くの樽口遺跡(たるくちいせき)では、旧石器時代(きゅうせっきじだい)の東北日本の特徴(とくちょう)をよく表す石器(せっき)がたくさん出土(しゅつど)しました。中でも旧石器時代(きゅうせっきじだい)のいちばん終わりごろの細石刃石器群(さいせきじんせっきぐん)は、シベリアに起源(きげん)をもつ特徴(とくちょう)的な技術(ぎじゅつ)で作られています。黒曜石(こくようせき)でつくられた石器(せっき)を「蛍光X線分析(けいこうえっくすせんぶんせき)」という方法で産地(さんち)を調べたところ、秋田県男鹿半島(おがはんとう)産であることが分かりました。当時の人々が北の技術(ぎじゅつ)と石を持って、北から南下(なんか)したことが明らかになった貴重(きちょう)な石器(せっき)です。

  • ヒスイ

    火焔型土器(かえんがたどき)笹山遺跡(ささやまいせき) 国宝

    火焔型土器(かえんがたどき)は、縄文時代中期(じょうもんじだいちゅうき)に信濃川(しなのがわ)の中流域(ちゅうりゅういき)を中心に作られた縄文土器(じょうもんどき)で、燃えさかる炎(ほのお)のような形からそうよばれています。土器(どき)の表面にはススやおこげが付いているため、お鍋(なべ)として使われたと考えられます。笹山遺跡(ささやまいせき)から出土(しゅつど)した火焔型土器(かえんがたどき)は、日本の原始美術(げんしびじゅつ)を代表する土器(どき)として国内外で高く評価(ひょうか)され、1999年に縄文土器(じょうもんどき)のなかで、これだけが国宝(こくほう)に指定(してい)されました。また、新潟県(にいがたけん)にとっても唯一(ゆいいつ)の国宝(こくほう)です。

  • 火焔型土器(かえんがたどき)

    ヒスイ長者ヶ原遺跡(ちょうじゃがはらいせき) 国石

    糸魚川(いといがわ)地方でとれるヒスイは、硬(かた)く光沢(こうたく)があり、その美しさから縄文時代(じょうもんじだい)から奈良時代(ならじだい)まで、アクセサリ-として盛(さか)んに使われてきました。糸魚川(いといがわ)地域(ちいき)では長者ヶ原遺跡(ちょうじゃがはらいせき)をはじめとして、ヒスイの玉を作った遺跡(いせき)がたくさんあります。しかし、はじめはヒスイの硬(かた)さから石斧(いしおの)を作るときに使用するハンマーとして使われました。その後、縄文時代前期(じょうもんじだいぜんき)にヒスイの玉が作られはじめ、中期から本格的に生産(せいさん)されました。これらの玉は、北は北海道(ほっかいどう)から南は沖縄県(おきんわけん)まで運ばれました。ヒスイは、知名度(ちめいど)や美しさ、古くからの日本人との関わりなどから、2016年9月「国石(こくせき)」に選ばれました。

  • 土偶形容器(どぐうがたようき)

    土偶形容器(どぐうがたようき)村尻遺跡(むらじりいせき) 国指定重要文化財

    土偶形容器(どぐうがたようき)は、弥生時代中期(やよいじだいちゅうき)の再葬墓(さいそうぼ)とよばれるお墓(はか)からの出土品(しゅつどひん)です。人の上半身(じょうはんしん)を表していますが、顔(頭)がありません。腕(うで)は短く、胸(むね)がわずかにふくらんでいます。胸(むね)と背中には、縄目(なわめ)で幾何学模様(きかがくもよう)がえがかれ、赤くいろどりされています。高さ約45㎝、肩幅(かたはば)は約37㎝と、とても大型です。造形(ぞうけい)としてすぐれているだけでなく、当時の葬送(そうそう)を考える上でも重要な資料(しりょう)です。

  • 靫(ゆぎ)

    靫(ゆぎ)城の山古墳(じょうのやまこふん)

    (ゆぎ)は、中に矢を入れて、背中にせおって持ち運ぶ、細長い箱形の武具(ぶぐ)のことです。城の山古墳(じょうのやまこふん)は、新潟県(にいがたけん)北部の胎内市(たいないし)にある円墳(えんぷん)で、その棺(ひつぎ)の中から編物(あみもの)でできた(ゆぎ)が3点出土(しゅつど)しています。出土(しゅつど)した(ゆぎ)は、糸を編(あ)み上げて模様(もよう)が描(えが)かれ、模様(もよう)の上から(うるし)をぬって仕上げられています。当時の(うるし)がきれいに残っています。

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