富山県

下老子笹川遺跡

しもおいごささがわいせき

所在地富山県高岡市福岡町下老子397 ほか外部リンクGooglemap

主な時代弥生時代

面積約1㎢(東京ディズニーランドの約2倍)におよぶ、縄文時代(じょうもんじだい)の終わりから弥生時代(やよいじだい)にかけての巨大なムラです。発掘調査(はっくつちょうさ)で、縄文時代晩期(じょうもんじだいばんき)から弥生時代中期(やよいじだいちゅうき)・後期(こうき)・終末期(しゅうまつき)と、それぞれの時期の建物をともなうムラが、同じ遺跡(いせき)のなかで点々と場所を変えてみつかりました。このような遺跡(いせき)は、県内では他にありません。
弥生時代(やよいじだい)の建物跡(たてものあと)は、遺跡(いせき)が洪水(こうずい)で一気に埋(う)まったために、その土によってパックされたように良好(りょうこう)な形でみつかりました。住居のつくりは、地面に深く穴(あな)を掘(ほ)ってつくったふつうのたて穴建物で(あなたてもの)ではなく、まず円形に溝(みぞ)を掘(ほ)り、掘(ほ)った土を土手(どて)のように盛(も)り上げており、静岡県(しずおかけん)の登呂遺跡(とろいせき)と同じようなものでした。また、建物のいくつかには、屋根材の上に焼けた土がのっており、土葺(つちぶ)き屋根のたて穴建物(あなたてもの)だったとみられます。

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  • 空から見た遺跡のあったエリア

    空から見た遺跡のあったエリア

  • 現在のようす

    現在のようす

  • 弥生時代中期の建物跡

    弥生時代中期の建物跡

現在の様子現在は、遺跡の大半が水田で、調査地点は能越自動車道や北陸新幹線となっています。道路と新幹線のレールの間には1本の菩提樹が残り、遺跡の位置がわかる唯一の証(あかし)となっています
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