山梨県

上の平遺跡

うえのだいらいせき

所在地山梨県甲府市下向山町上の平1135 ほか外部リンクGooglemap

主な時代弥生時代

上の平遺跡(うえのだいらいせき)は、甲府盆地(こうふぼんち)の南の端(はし)、標高330mの曽根丘陵(そねきゅうりょう)の上、静岡(しずおか)方面とつながる交通の要(かなめ)になる土地で、盆地を見わたすことができる場所にあります。弥生時代後期(やよいじだいこうき)から古墳時代前期(こふんじだいぜんき)にかけての方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)が、126基(き)もまとまってみつかりました。全国でも最大規模の方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)群として注目されています。方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)の溝(みぞ)は、ほとんどが一カ所のコーナーでとぎれていて、外から墓(はか)に入る渡り廊下(ろうか)のようにつながっています。おそらく、死者の家族や親しい人たちが儀式(ぎしき)やおまいりをするための出入口だったと考えられます。また、溝(みぞ)の中からは、子どもを埋葬(まいそう)したと思われる2つの壺(つぼ)をカプセル状に合わせた壺棺(つぼかん)や墓(はか)に供(そな)えられた土器(どき)などもみつかっています。この台地の北側には、甲斐銚子塚古墳(かいちょうしづかこふん)、丸山塚古墳(まるやまづかこふん)、大丸山古墳(おおまるやまこふん)など、山梨県(やまなしけん)で最大の前期古墳(ぜんきこふん)群があります。上の平遺跡(うえのだいらいせき)の周溝墓(しゅうこうぼ)群の中には、集団をまとめた首長(しゅちょう)がいたことを思わせる、縦(たて)30m、横(よこ)24mの大きな方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)があり、弥生時代(やよいじだい)から古墳時代(こふんじだい)にうつりかわる時期に、甲斐(かい)に巨大な政治勢力(せいじせいりょく)が成長してくる様子を知ることができます。

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