鳥取県

妻木晩田遺跡

むきばんだいせき

所在地鳥取県米子市淀江町福岡、西伯郡大山町妻木外部リンクGooglemap

主な時代弥生時代

日本海をまぢかに見おろす、標高(ひょうこう)約100~150mの山の上に広がるムラの跡(あと)です。広さは約170ヘクタールもあり、住居(たて穴建物)約450軒(けん)、倉庫(そうこ ほったて柱建物)510棟(とう)以上がみつかっている、わが国で最大級(さいだいきゅう)の弥生時代(やよいじだい)の遺跡(いせき)です。弥生時代の終わり頃から人が住みはじめ、古墳時代(こふんじだい)の初めごろにムラはなくなり、古墳(こふん)をつくる山になりました。
土をもってつくったお墓(はか)である「墳丘墓(ふんきゅうぼ)」も39基(き)みつかっています。そのなかには、四角形の墳丘(ふんきゅう)の四隅(よすみ)が張り出す、山陰(さんいん)特有の四隅突出型墳丘墓(よすみとっしゅつがたふんきゅうぼ)もたくさんあります。
この遺跡(いせき)からは、建物跡などからたくさんの土器(どき)、石器(せっき)の他、本州の弥生時代(やよいじだい)遺跡(いせき)としては、飛びぬけて多い470点以上の鉄器(てっき)がみつかっています。また、中国製の銅鏡(どうきょう)の破片(はへん)もみつかっており、日本海を利用した交易(こうえき)により、これらの貴重品(きちょうひん)を手に入れたと考えられます。
妻木晩田遺跡(むきばんだいせき)は、住まいや首長(しゅちょう)のお墓(はか)が場所を変えながら、長い年月をかけてムラが大きくなっていき、やがて人々が去るまでの様子を知ることのできるので、山陰(さんいん)だけでなく日本の弥生時代(やよいじだい)を研究(けんきゅう)するうえで重要な遺跡(いせき)です。

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  • 山の上に広がる弥生のムラ

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現在の様子現在は、史跡公園として整備されています。「弥生のムラ」を体感できる施設には、たくさんの見学者が訪れています
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