栃木県

寺野東遺跡

てらのひがしいせき

所在地栃木県小山市大字梁2075-4外部リンクGooglemap

主な時代縄文時代

寺野東遺跡(てらのひがしいせき)は、縄文時代(じょうもんじだい)の巨大なドーナツ形の盛土遺構(もりどいこう)が初めて見つかった遺跡(いせき)です。盛土(もりど)は、江戸時代(えどじだい)に半分壊(こわ)されてしまいましたが、常識(じょうしき)をくつがえす大きさで、いちばん下の幅(はば)が15~30m、高さ2m、直径約165mもあり、大きな川に沿(そ)う土手(どて)のようにつくられています。これらは約1000年もの長期間にわたって、少しずつ削(けず)りとった内側の土を外側につみ上げたもので、その土の量はトラック1500台分になります。盛土(もりど)内のいたる所からは、日常生活で使うたくさんの土器(どき)とともに、土偶(どぐう)・土面(どめん)・石剣(せっけん)・石棒(いしぼう)など、祭りや儀式(ぎしき)に使う道具類や、動物の骨(ほね)、焼け土がまとまって出土(しゅつど)しています。少しずつ土をもり上げる時に、祭りや祈(いの)りがくり返し行われていたようです。盛土遺構(もりどいこう)の中でもっとも重要な場所は、ほぼ中心にある石をしいた場所です。ここは、削(けず)りとらずに小高く残され、拳(こぶし)くらいの大きさの石から、人の頭くらいの大きさの河原(かわら)石が並べられています。盛土(もりど)をドーナツ状にきづく時の基準(きじゅん)になる点かもしれないし、また祭りや祈(いの)りを行う祭壇(さいだん)のような場所だったかもしれません。

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  • 全景

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  • 低地に作られた木組遺構

    低地に作られた木組遺構

  • 祭りに使われた出土遺物

    祭りに使われた出土遺物

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