岐阜県ぎふけん
  • 遺跡数11,786か所
  • 面 積10,621㎢
ふなっきー
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岐阜県(ぎふけん)は日本列島(れっとう)のほぼ中央にあり、まわりを陸(りく)で囲(かこ)まれた海のない県です。面積の広さは全国10番目で、北部の飛騨(ひだ)地方と南部の美濃(みの)地方に分かれています。飛騨(ひだ)地方は、世界遺産(せかいいさん)になった白川郷(しらかわごう)で知られる自然豊かな山々がつづいています。美濃(みの)地方は揖斐川(いびがわ)・長良川(ながらがわ)・木曽川(きそがわ)がつくる肥沃(ひよく)な平野から広がっています。
また美濃(みの)地方は、現代でも新幹線(しんかんせん)や高速道路(こうそくどうろ)が通る東西交通のかなめの地であり、昔から川を利用した交通が盛(さか)んな土地でした。そのため、政治的にも経済的にも重要な場所であったと考えられます。古代から天皇家(てんのうけ)ともつながりが深い土地であり、672年の「壬申(じんしん)の乱(らん)」や1600年の「関ヶ原(せきがはら)の合戦(かっせん)」など、歴史上の有名なできごとの舞台(ぶたい)にもなっています。
古墳時代(こふんじだい)においては、岐阜県(ぎふけん)内では5140基(き)もの古墳(こふん)がつくられました。とりわけこの地方は、前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)ではなく、前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)が多いのが特徴です。岐阜県(ぎふけん)では、弥生時代(やよいじだい)の終わりごろにから、前方後方形(ぜんぽうこうほうけい)の墳丘墓(ふんきゅうぼ)が出現(しゅつげん)しており、それが古墳時代(こふんじだい)にも続いたと考えられます。前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)と前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)の合計は約80基で、もっともも大きな古墳は全長150mの昼飯大塚古墳(ひるいおおつかこふん)です。東海(とうかい)地方では最大級の前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)で、東日本のなかでは10番目の大きさとなります。この他に100mを越(こ)える古墳(こふん)としては、各務原市(かがみはらし)の坊の塚古墳(ぼうのづかこふん/全長120m・県史跡)と岐阜市(ぎふし)の琴塚古墳(ことづかこふん/全長115m・国史跡〈くにしせき〉)があります。
古墳時代後期(こふんじだいこうき)には、決まった範囲(はんい)に古墳(こふん)を密集(みっしゅう)してつくる群集墳(ぐんしゅうふん)が目だちます。代表的な群集墳(ぐんしゅうふん)に池田町の願成寺西墳之越古墳群(がんじょうじにしつかのこしこふんぐん/111基)・櫨山古墳群(はぜやまこふんぐん/75基)、本巣市(もとすし)の船来山古墳群(ふなきやまこふんぐん/約300基)があります。

うちのお宝 ベスト5

  • 下呂石(げろいし)

    下呂石(げろいし)大林遺跡(おおばやしいせき)

    下呂温泉(げろおんせん)の東に湯ヶ峰(ゆがみね)と呼ばれる山があります。ここは下呂石(げろいし)と呼ばれる石器(せっき)の材料となる石材が採(と)れることで有名です。下呂石(げろいし)は火山の溶岩(ようがん)が冷えて固(かた)まってできたもので、割(わ)れ口は鋭(するど)く、ナイフのようによく切れます。近くの大林遺跡(おおばやしいせき)では、こうした豊富(ほうふ)な下呂石(げろいし)を使った、縄文時代(じょうもんじだい)の初めごろのヤリ先の未完成品(みかんせいひん)がたくさんみつかっています。これらの石器(せっき)は、長野県(ながのけん)などの遺跡(いせき)でも発見されており、飛騨(ひだ)地方から各地に運ばれたことがわかります。

  • 大きな船を描(えが)いた弥生土器

    大きな船を描(えが)いた弥生土器荒尾南遺跡(あらおみなみいせき)

    弥生時代(やよいじだい)の終わりごろの方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)の溝(みぞ)から出土(しゅつど)した(つぼ)です。この(つぼ)には、大型船と2隻(せき)の帆(ほ)かけ船が描(えが)かれています。なかでも中央の大型船には、両側に多数の櫂(かい)が描(えが)かれ、船の先端(せんたん)、中央、いちばん後ろに、2本ずつの旗(はた)が立てられています。この絵画土器(かいがどき)については、墓に埋葬(まいそう)される人物の魂(たましい)を船に乗(の)せて運ぶという、お葬式(そうしき)用の土器(どき)なのか、あるいは実際の船を描(えが)いたものなのかなど、さまざまな説があります。

  • 割られた鏡(かがみ)

    割(わ)られた鏡(かがみ)美濃観音寺山古墳(みのかんのんじやまこふん) 県指定有形文化財

    弥生時代(やよいじだい)の終わりごろから古墳時代(こふんじだい)にかけての前方後方形(ぜんぽうこうほう)の墳丘墓(ふんきゅうぼ 全長約20m)から出土(しゅつど)した中国製の銅鏡(どうきょう)です。鏡(かがみ)には銘文(めいぶん)が刻(きざ)まれており、中国の新(8~23年)という王朝の時代に作られた鏡(かがみ)だとわかります。それが海を渡って、岐阜県(ぎふけん)まで伝わってきました。とても貴重品(きちょうひん)だったはずですが、墓(はか)に副葬(ふくそう)される直前に、当時の風習(ふうしゅう)に従って、わざと細かく割(わ)られました。どうして割(わ)ってしまったのでしょうね?

  • 輸入された初期の馬具(ばぐ)

    輸入された初期の馬具(ばぐ)中八幡古墳(なかはちまんこふん) 県指定有形文化財

    中八幡古墳(なかはちまんこふん)は、古墳時代中期(こふんじだいちゅうき 5世紀中頃)の前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん 全長約40m)です。ここからたくさんの武器(ぶき)や武具(ぶぐ)とともに出土(しゅつど)しました。日本列島(れっとう)に馬が伝わってきた頃の、日本では古い、数少ない馬具(ばぐ)の一つです。その特徴(とくちょう)から、中国の遼寧省(りょうねいしょう)から、朝鮮半島(ちょうせんはんとう)を通って日本列島(れっとう)に伝わったと考えられます。古墳(こふん)に埋葬(まいそう)された人は、この地域で最初に馬を飼(か)い、馬に乗(の)った人物だったと想像(そうぞう)することができます。

  • 鳥の飾(かざ)りがつく須恵器(すえき)

    鳥の飾(かざ)りがつく須恵器(すえき)宮之脇(みやのわき)11号墳

    古墳時代後期(こふんじだいこうき)の初めごろ(5世紀末〜6世紀初頭)の円墳(造出・全長約20m)から出土(しゅつど)した須恵器(すえき)です。もともとは脚(あし)がつく短頸壺(たんけいこ)と考えられ、胴(どう)の部分には4つの小さな(つぼ)と鳥の蓋(ふた)がつきます。こうした装飾付須恵器(そうしょくきすえき)とよばれる特別な須恵器(すえき)は、愛知県(あいちけん)で数多くみつかっていますが、岐阜県(ぎふけん)では珍(めずら)しいものです。また、鳥の羽根(はね)がどれも飛び立つように表現されている例は少なく、重要な資料です。

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