全国こども考古学教室

長野県ながのけん
  • 遺跡数14260か所
  • 面 積13562㎢
ドキジロー
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長野県(ながのけん)にある遺跡(いせき)の数は14260ヶ所で、全国で9番目ですが、長野県(ながのけん)は面積(めんせき)の8割(わり)が森林(しんりん)です。ふつう、山の中には遺跡(いせき)はあまり残されません。したがって現在、私達が住んでいるまわりの地下(ちか)には、多くの遺跡(いせき)が埋(う)もれているといっていいでしょう。時代別(じだいべつ)にみると、縄文時代(じょうもんじだい)の遺跡は全国で第3位、旧石器時代(きゅうせっきじだい)と弥生時代(やよいじだい)の遺跡は4位です。全国的にみても、遺跡(いせき)の多い県(けん)といえます。長野県(ながのけん)の真ん中、和田峠(わだとうげ)から霧ヶ峰(きりがみね)・八ヶ岳(やつがたけ)にかけては、本州(ほんしゅう)で最大級(さいだいきゅう)の黒曜石(こくようせき)の産地(さんち)があり、旧石器時代(きゅうせっきじだい)から縄文時代(じょうもんじだい)には、この黒曜石(こくようせき)を利用(りよう)して、栄(さか)えました。黒曜石(こくようせき)を求(もと)めて人びとが行き来し、独特(どくとく)な土器(どき)や土偶(どぐう)などを作りました。弥生時代(やよいじだい)の千曲川(ちくまがわ)の流域(りゅういき)に発達(はったつ)した赤く塗(ぬ)られた土器文化(どきぶんか)は、「赤い土器(どき)のクニ」と呼(よ)ばれるほどです。古墳時代(こふんじだい)に、いち早くヤマト政権(せいけん)と結びついたのは、長野盆地(ながのぼんち)で「赤い土器(どき)のクニ」が発展(はってん)した勢力(せいりょく)だったようです。古墳時代(こふんじだい)の中期(ちゅうき)以降(いこう)は、県南部の古墳文化(こふんぶんか)が発展(はってん)します。それは馬の飼育(しいく)や馬にかかわる文化(ぶんか)でヤマト政権(せいけん)と結びつきが強くなったといわれています。

うちのお宝 ベスト5

  • 石器(せっき)

    石器(せっき)「旧石器時代(きゅうせっきじだい)の芸術品(げいじゅつひん)」神子柴(みこしば)遺跡 国指定重要文化財

    遺跡(いせき)が発掘(はっくつ)されたきっかけは、黒曜石(こくようせき)の槍(やり)を小学生がみつけて、学校に持って行ったことでした。それが、この地域の歴史を研究していた考古学者(こうこがくしゃ)の目にとまり、発掘(はっくつ)がおこなわれました。そして、長さ10cmをはるかに超(こ)える石の槍(やり)と巨大な石斧(いしおの)がみつかりました。完成された石器(せっき)ばかりが発見されたので、住まいであったとか、墓であったとか、意見が分かれています。

  • 土偶(どぐう)「縄文(じょうもん)のヴィーナス」

    土偶(どぐう)「縄文(じょうもん)のビーナス」棚畑遺跡(たなばたけいせき) 国宝

    縄文時代中期(じょうもんじだいちゅうき)の土偶(どぐう)です。表面はよく磨(みが)かれて、つるつるしています。また、土偶(どぐう)を作った粘土(ねんど)は、雲母(うんも)という小さな鉱物(こうぶつ)が混(ま)じっており、金色に輝(かがや)いています。高さ27cmで、ボリューム感あふれる土偶(どぐう)です。1995年に、縄文時代(じょうもんじだい)の遺跡(いせき)からみつかったもののなかで、はじめて国宝(こくほう)に指定されました。

  • 土偶(どぐう)「仮面(かめん)の女神(めがみ)」

    土偶(どぐう)「仮面(かめん)の女神(めがみ)」中ッ原遺跡(なかっぱらいせき) 国宝

    「仮面(かめん)の女神(めがみ)」というニックネームがつけられたこの土偶(どぐう)は、細かく複雑(ふくざつ)なもようで飾(かざ)られており、すぐれた作品だと世界中から高く評価(ひょうか)されています。ムラの中央部に埋(う)められていました。現在、全国で5点の土偶(どぐう)が国宝(こくほう)に指定(してい)されていますが、そのうちの2点が長野県から発掘(はっくつ)されました。「縄文(じょうもん)のビーナス」とともに、長野県(ながのけん)の自慢(じまん)の出土品(しゅつどひん)です。

  • 水煙土器(すいえんどき)

    撮影:田枝幹宏

    水煙土器(すいえんどき)「ひときわの美と風格(ふうかく)」曽利遺跡(そりいせき) 長野県宝

    曽利遺跡(そりいせき)は、井戸尻遺跡群(いどじりいせきぐん)に含(ふく)まれる遺跡(いせき)の1つです。そこで出土(しゅつど)したこの縄文時代中期(じょうもんじだいちゅうき)の土器は、長野県(ながのけん)から山梨県(やまなしけん)にかけての地域でよくみられる形ですが、そのなかでもとくに美しい土器(どき)として、長野県宝(ながのけんぽう)に指定されました。1963年にパリで開かれた「日本古美術展(にほんこびじゅつてん)」で展示(てんじ)されたり、1972年には、郵便(ゆうびん)はがきのデザインに採用(さいよう)されました。

  • 銅鐸(どうたく)

    銅鐸(どうたく)「弥生人がはじめて見た黄金色の輝(かがや)き」塩尻市柴宮(しおじりししばみや) 長野県宝

    1960年、塩尻市(しおじりし)の大門神社(だいもんじんじゃ)の境内(けいだい)で、銅鐸(どうたく)が発見(はっけん)された時、大きなニュースとなりました。それまで長野県(ながのけん)は、銅鐸(どうたく)を使う祭りをおこなわない地域だと考えられていたからです。柴宮(しばみや)の銅鐸(どうたく)は、東海(とうかい)地方でつくられた銅鐸(どうたく)の特徴(とくちょう)をもっており、長野県(ながのけん)と東海(とうかい)地方に交流(こうりゅう)があったことを示しています。この銅鐸(どうたく)は今ではさびていますが、作られたときは、今の新しい10円玉のようにピカピカに光っていました。使われたのは弥生時代後期(やよいじだいこうき)で、米づくりの祭りに使われたといわれています。

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