全国こども考古学教室

群馬県ぐんまけん
  • 遺跡数13816か所
  • 面 積6362㎢
ぐんまちゃん
群馬県のマップみなかみ町月夜野郷土歴史資料館みどり市岩宿博物館渋川市埋蔵文化財センター前橋市総社歴史資料館榛東村耳飾り館藤岡市藤岡歴史館岩宿遺跡下触牛伏遺跡中野谷松原遺跡茅野遺跡矢瀬遺跡岩櫃山鷹の巣遺跡中高瀬観音山遺跡日高遺跡黒井峯遺跡三ツ寺Ⅰ遺跡かみつけの里博物館白石古墳群総社古墳群太田天神山古墳綿貫観音山古墳群馬県立(けんりつ)歴史博物館

群馬県(ぐんまけん)は、関東(かんとう)平野の内陸(ないりく)の県です。日本最大の川、利根川(とねがわ)の上流にあって、南東には関東(かんとう)平野がひらけ、西と北は山にかこまれています。関東(かんとう)地方と中部地方、日本海(にほんかい)、東北(とうほく)地方を結ぶ、交通の重要な地域(ちいき)であり、いつの時代にも、各地から運びこまれたいろいろな品物や技術(ぎじゅつ)によって、ゆたかな文化がさかえた土地でした。日本で最初に旧石器時代(きゅうせっきじだい)の石器(せっき)がみつかった岩宿遺跡(いわじゅくいせき)をはじめ、1万か所をこえる遺跡(いせき)と、全長210mと東日本で一番大きい古墳(こふん)である太田天神山古墳(おおたてんじんやまこふん)など、1万3000基(き)以上の古墳(こふん)がみつかっています。また、古墳時代(こふんじだい)に起きた浅間山(あさまやま)、榛名山(はるなさん)の噴火(ふんか)の火山灰(かざんばい)で埋(う)もれた、世界的にもめずらしい遺跡(いせき)がみつかるのも、群馬県(ぐんまけん)の大きな特徴(とくちょう)です。金井東裏遺跡(かないひがしうらいせき)では、火砕流(かさいりゅう)にまきこまれた人々や馬がみつかりました。日高遺跡(ひだかいせき)や黒井峯遺跡(くろいみねいせき)のように、軽石(かるいし)や火山灰(かざんばい)に埋(う)もれて、当時の姿(すがた)そのままに残された古墳時代(こふんじだい)のムラや田畑がみつかった遺跡(いせき)も少なくありません。

うちのお宝 ベスト5

  • くっついた石器たち

    くっついた石器たち上白井西伊熊遺跡(かみしろいにしいくまいせき) 県指定重要文化財

    いまから2万年前の旧石器時代(きゅうせっきじだい)の人々が、近くの川からとってきた石をここで打ちわり、石器(せっき)を作っていたことがわかる遺跡(いせき)です。わられた石の破片(はへん)をつなぎ合わせてゆくと、元の石を、どのように打ちわって、石器(せっき)を作ったかがわかりました。おどろいたことに、群馬(ぐんま)から遠くはなれた瀬戸内(せとうち)地域(ちいき)で発達した石器(せっき)作りのテクニックである「瀬戸内技法(せとうちぎほう)」で石器(せっき)が作られていることがわかったのです。旧石器時代(きゅうせっきじだい)の人や技術(ぎじゅつ)の交流を示す、大切な資料(しりょう)です。

  • 土でつくった耳かざり

    土でつくった耳かざり千網谷戸遺跡(ちあみがいといせき) 国指定重要文化財

    縄文時代(じょうもんじだい)の終わりごろの住居(たて穴建物)から、耳に穴(あな)を開けてはめ込む、土でつくった耳かざりがたくさんみつかりました。直径9㎝、高さ4㎝ほどの大きさですが、厚(あつ)さは1~2mmほどとうすく、とても複雑(ふくざつ)なすかし彫(ぼ)りで、複雑(ふくざつ)な形を作っています。千網谷戸遺跡(ちあみがいといせき)では、耳かざりを作った時の粘土(ねんど)の削(けず)りかすまでみつかっていて、まさにここで作られたことがわかります。縄文時代(じょうもんじだい)最高の芸術家(げいじゅつか)の作品でしょう。

  • 人の形をした土器(どき)

    人の形をした土器(どき)有馬遺跡(ありまいせき)

    高さ36.5㎝の人形土器(ひとがたどき)です。大きな顔に、鼻の穴(あな)を強調(きょうちょう)した鼻、つき出し気味(ぎみ)で大きな唇(くちびる)、切れ長の目、そして左右の耳には耳かざり用の穴(あな)があいています。額(ひたい)の上に乗っているのは髪(かみ)の毛なのか、あるいは冠(かんむり)なのでしょうか。左右に広げた手の先と、顔の一部には赤い顔料(がんりょう)が塗(ぬ)られています。お墓(はか)の近くから出土(しゅつど)しているので、葬儀(そうぎ)に関係するものかもしれません。縄文時代(じょうもんじだい)の土偶(どぐう)とも、古墳時代(こふんじだい)の埴輪(はにわ)とも違う、弥生時代(やよいじだい)独特の人物を表現した土器(どき)です。

  • よろいをつけた人骨

    よろいをつけた人骨金井東裏遺跡(かないひがしうらいせき)

    6世紀初めに榛名山(はるなさん)の火砕流(かさいりゅう)にまきこまれて死亡した40代の男性の人骨(じんこつ)です。身長は164㎝。人骨(じんこつ)の特徴(とくちょう)から、左ききで、よく馬に乗(の)っていた人だということがわかりました。九州から西日本に多い顔立ちですが、長野県(ながのけん)の南部で生まれて、群馬県(ぐんまけん)に移り住んだらしいです。1800枚もの鉄(てつ)で作った小札(こざね)を、絹(きぬ)の組み紐(ひも)と革紐(かわひも)で綴(と)じた甲(よろい)を身につけて、(かぶと)を持っていました。(かぶと)には、小札(こざね)を組み紐(ひも)でつなげた頬当(ほおあ)てと、(しころ)がついています。もう一つの甲(よろい)や鹿角(ろっかく)製小札(こざね)を組み合わせたかざり物、銀(ぎん)や金銅(こんどう)、鹿角(ろっかく)でかざられた(ほこ)・矢じりも、彼の物なのでしょう。

  • 埴輪武装男子立像(はにわぶそうだんしりゅうぞう)

    埴輪武装男子立像(はにわぶそうだんしりゅうぞう)群馬県太田市(ぐんまけんおおたし) 国宝

    太田市(おおたし)の古墳(こふん)から出土(しゅつど)したものです。埴輪(はにわ)といえばこれ、というほどに有名な埴輪(はにわ)です。高さは131cm、頬当(ほおあ)てのついた冑(かぶと)をかぶり、肩甲(かたよろい)を別に作った小札甲(こざねよろい)、膝甲(ひざよろい)、脛当(すねあ)て、小手(こて)で身を固めた武人(ぶじん)の姿(すがた)です。(とも)をまいた左手には弓を持ち、右手を大刀(たち)の柄(え)にかけています。均整(きんせい)のとれた姿(すがた)、おだやかな表情、細かくて美しい甲冑(かっちゅう)の表現など、熟練(じゅくれん)した埴輪職人(はにわしょくにん)の作品でしょう。埴輪(はにわ)の中で一つだけ、国宝(こくほう)に指定(してい)されているすぐれた品です。

error: コンテンツは保護されています