全国こども考古学教室

徳島県とくしまけん
  • 遺跡数3142か所
  • 面 積4147㎢
やのまる
徳島県のマップ坊僧遺跡東段地区城山貝塚矢野遺跡名東遺跡若杉山辰砂採掘追跡萩原墳墓群宮谷古墳丹田古墳大代古墳国高山古墳渋野丸山古墳段の塚穴野村八幡古墳地蔵院穴不動古墳徳島県立埋蔵文化財総合センター東みよし町歴史民俗資料館徳島市立考古資料館美馬市郷土資料館徳島県立博物館

徳島県(とくしまけん)は、四国地方の東にあり、紀伊水道(きいすいどう)をはさんで和歌山県(わかやまけん)と向かいあっています。弥生時代(やよいじだい)には、県内各地の平野(へいや)にムラが作られるようになりますが、後期(こうき)になると、遺跡(いせき)の数が増え、規模(きぼ)も大きくなります。徳島市(とくしまし)では、南蔵本遺跡(みなみくらもといせき)・庄遺跡(しょういせき)・名東遺跡(みょうとういせき)・矢野遺跡(やのいせき)などが発展(はってん)します。また、徳島(とくしま)は、銅鐸(どうたく)が非常(ひじょう)にたくさん発見される地域(ちいき)です。銅鐸(どうたく)は、ムラの近くで発見される例(れい)も多いのですが、山の中や海辺など、平地のない場所からも発見されています。阿南(あなん)市の山中にある若杉山辰砂採掘遺跡(わかすぎやましんしゃさいくついせき)は、国内で唯一(ゆいいつ)の、辰砂(しんしゃ)をほりだして「朱(しゅ)」という赤色の顔料(がんりょう)をつくった遺跡(いせき)です。さいきんの調査(ちょうさ)では、辰砂(しんしゃ)をとるために掘(ほ)られた、地下の通路も見つかり、近くの遺跡(いせき)では、水銀朱(すいぎんしゅ)を作る時に使った土器(どき)や石器(せっき)も多く発見されています。弥生時代(やよいじだい)の終わりごろから古墳時代(こふんじだい)の初めにかけて、特徴(とくちょう)のある墓(はか)が作られます。土ではなく、石を積みあげてつくった墳丘墓(ふんきゅうぼ)である萩原墳墓群(はぎわらふんぼぐん)、石を積み上げてつくった前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)である丹田古墳(たんだこふん)などです。

うちのお宝 ベスト5

  • 土面(どめん)

    土面(どめん)矢野遺跡(やのいせき) 国指定重要文化財

    矢野遺跡(やのいせき)の弥生時代(やよいじだい)のムラよりも深い地層(ちそう)には、縄文時代(じょうもんじだい)の遺跡(いせき)もありました。19軒(けん)の住居(たて穴建物)もあり、西日本で有数(ゆうすう)の縄文(じょうもん)のムラです。土面(どめん)は16センチほどの円形(えんけい)で、頭につける紐(ひも)をとおす穴(あな)があいていないので、手で持ってまつりの場面に使われたと考えられます。国内最古(さいこ)の土面(どめん)です。

  • 銅鐸

    銅鐸(どうたく)矢野遺跡(やのいせき) 国指定重要文化財

    徳島(とくしま)の弥生時代(やよいじだい)を代表(だいひょう)するムラである矢野遺跡(やのいせき)で発見されました。銅鐸(どうたく)は、木の箱(はこ)に入れたような状態(じょうたい)で、ヒレを上下に横だおしの姿勢(しせい)で埋(う)められていました。高さが約1mと大型(おおがた)で、突線鈕式(とっせんちゅうしき)とよばれる、銅鐸(どうたく)の最新型式(さいしんけいしき)のものです。県内で銅鐸(どうたく)は40点以上出土(しゅつど)している密集地帯(みっしゅうちたい)ですが、徳島(とくしま)を代表(だいひょう)する銅鐸(どうたく)です。

  • 動物形土製品

    動物形土製品(どせいひん)足代東原遺跡(あしろひがしばらいせき)

    吉野川(よしのがわ)の上流の北岸の東みよし町の足代東原遺跡(あしろひがしばらいせき)は36基(き)以上の円形積石墓(えんけいつみいしぼ)からなる遺跡(いせき)です。サルとイノシシの土製品(どせいひん)は、これらの墓(はか)のまわりで行われたまつりの時に、(つぼ)などの土器(どき)とともに使われた後に捨(す)てられていました。細(こま)かく見ると、2点とも威嚇(いかく)するような表情(ひょうじょう)・姿勢(しせい)をとっていて、縄文時代(じょうもんじだい)から続くまつりを引きついでいると考えられています。

  • 画文帯神獣鏡

    画文帯神獣鏡(がもんたいしんじゅうきょう)萩原1号墓(はぎわら1ごうぼ) 県指定有形文化財

    萩原1号墓(はぎわら1ごうぼ)の積石木槨(つみいしもっかく)という埋葬施設(まいそうしせつ)に、割(わ)った状態(じょうたい)で副葬(ふくそう)されていました。内側の区画(くかく)に三人の神と三匹(ひき)の獣(けもの)をえがき、周囲(しゅうい)には鋸歯文帯(きょしもんたい)などがめぐります。もようが非常にはっきりと見える中国製の銅鏡(どうきょう)で、萩原1号墓(はぎわら1ごうぼ)に埋葬(まいそう)された人物が、かなりの有力者であったことを示します。

  • 水銀朱精製関連遺物

    「朱(しゅ)」に染(そ)まった道具たち若杉山辰砂採掘遺跡(わかすぎやましんしゃさいくついせき) 国指定重要文化財

    阿南市水井町(あなんし すいいちょう)の若杉山辰砂採掘追跡(わかすぎやましんしゃさいくついせき)は、水銀朱(すいぎんしゅ)の原料である辰砂(しんしゃ)が採掘精製(さいくつせいせい)された、国内唯一(ゆいいつ)の遺跡(いせき)です。朱色(しゅいろ)は、神聖(しんせい)な色とされていたようで、岩脈(がんみゃく)の中の辰砂(しんしゃ)を集め、加工することによって、鮮(あざ)やかな朱色(しゅいろ)に仕上げます。遺跡(いせき)からは、この作業に使われた石杵(いしぎね)や石臼(いしうす)、容器(ようき)など、水銀朱(すいぎんしゅ)がついた道具が、大量に出土(しゅつど)しています。

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