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人類(じんるい)は、約700万年前にアフリカで誕生(たんじょう)しました。そして、260万年前ごろから、石を打ち割(わ)ってつくった打製石器(だせいせっき)を作りはじめます。道具を作るというのは、他の動物ではみられない、人類(じんるい)だけの特徴(とくちょう)です。 人類(じんるい)が道具を作り、使いはじめた最初の時代(じだい)を、旧石器時代(きゅうせっきじだい)とよびます。地球(ちきゅう)には、260万年前から現在までずっと、氷期(ひょうき)という、とても寒い時期がたびたび訪れています。氷期(ひょうき)と氷期(ひょうき)の間の暖(あたた)かい時期は短(みじか)く、ほとんどが寒冷(かんれい)です。いちばん最近の氷期(ひょうき)は7万年前ごろからはじまり、およそ1万年前に終わったと考えられていて、いまわかっている日本列島(れっとう)の旧石器時代(きゅうせっきじだい)は、この最後の氷期(ひょうき)にあたります。
4万年前ごろ、人類(じんるい)が日本列島(れっとう)にもやってきます。そのころの日本列島(れっとう)は大陸とはつながっていなかったので、船(ふね)で渡(わた)ってこなければなりません。しかし、旧石器時代(きゅうせっきじだい)の遺跡(いせき)からは、船(ふね)そのものが発見されていないので、人々がどうやって日本列島(れっとう)に渡(わた)ってきたのか、大きな謎(なぞ)です。 それでも人類(じんるい)は、日本列島(れっとう)の各地に広がり、どんどん増えていきました。いま日本では、旧石器時代(きゅうせっきじだい)の遺跡(いせき)が1万か所以上みつかっています。日本の面積を考えると、世界的にみても大変な多さといえます。日本列島(れっとう)は、昔から住みやすい島だったようですね。
いまから2万年前、最後の氷期(ひょうき)のなかでもいちばん寒くなりました。そのころの平均気温はいまより7~8℃低く、宮崎県(みやざきけん)や福岡県(ふくおかけん)が北海道(ほっかいどう)のような寒さだったと考えられています。 寒くなると、海から蒸発(じょうはつ)した海水の一部が雪となって降(ふ)り積(つ)もり、陸地で氷河(ひょうが)になるので、海水の量が減(へ)り、海水面が低くなります。北海道(ほっかいどう)は大陸と陸つづきとなり、本州と四国、九州はひとつの島になりました。平地に生えた植物は、現在なら標高(ひょうこう)1000m~1500mの高い山に生える植物でした。木もあまりたくさんはなく、平野(へいや)には草原が広がり、ナウマンゾウやオオツノジカのような大きな動物がすんでいました。 だから、瀬戸内海(せとないかい)の海底で、ナウマンゾウの骨がみつかったりします。いま、海の底になっているところをナウマンゾウがのしのしと歩いていたのです。(「行ってみよう岡山県(おかやまけん)」をみてね)
この時代(じだい)の日本列島(れっとう)の森には、カラマツのような針葉樹(しんようじゅ)とブナなどの広葉樹(こうようじゅ)がありましたが、食べられる実のなる木は少なかったようです。人々は動物を追いかけて、狩(か)りをしながら、移動(いどう)する生活をしていました。そのころの動物には、ナウマンゾウやオオツノジカなどの大きな動物のほかに、イノシシやノウサギ、アナグマなどもいました。人々は落とし穴(あな)をほって罠(わな)をしかけ、槍(やり)という刺(さ)す道具で動物をつかまえました。 また、人々は、草原にテントのような住まいを作るほか、洞窟(どうくつ)や岩陰(いわかげ)を住まいや墓(はか)として利用することもありました。住まいは簡単(かんたん)なものだったようで、建物(たてもの)の跡(あと)だとはっきりわかる遺跡(いせき)の発見例(れい)は、まだ少ないです。でも、石器(せっき)がまとまってみつかって、人々がしばらく暮(く)らした場所だとわかる遺跡(いせき)はたくさんあります。
この時代(じだい)の道具としては、木や骨でつくったものは腐(くさ)ってしまって残っていませんが、石を打ち割(わ)ってつくる打製石器(だせいせっき)がたくさん発見されています。どんな石でも石器(せっき)が作れるわけではありません。石器(せっき)の材料(ざいりょう)になるのは、割(わ)れ口が鋭(するど)い刃(は)になるような石です。なかでも、黒曜石(こくようせき)は、自然にできたガラスのような石で、とてもよく切れます。そのほか、チャート、頁岩(けつがん)、サヌカイトなど、地域(ちいき)ごとに石器(せっき)作りに適(てき)した石が使われました。 主な石器(せっき)には、狩(か)りの道具である槍(やり)をはじめ、動物の肉を切ったり、骨や木などを削(けず)ったりする小型のナイフのような石器(せっき)、穴(あな)をあけるための錐(きり)のような石器(せっき)などがあります。 また、この時代(じだい)には世界的に珍(めずら)しい、石をすり磨(みが)いてつくる磨製(ませい)の石斧(いしおの)もたくさんみつかっています。この石斧(いしおの)は、大きな動物の狩(か)りや、木を伐採(ばっさい)して削(けず)ったり、動物を解体(かいたい)したりするための道具として使われたと考えられています。
◎旧石器時代(きゅうせっきじだい)は、3つの時期(じき)にわけられます。およそ260万年続きました。
700万年前に人類(じんるい)が誕生(たんじょう)してから、いろいろな種(しゅ)があらわれては絶滅(ぜつめつ)してきました。いま地球(ちきゅう)に生きている人類(じんるい)=私たちは、「ホモ・サピエンス」とよばれる、いちばん新しい1つの種(しゅ)です。 ホモ・サピエンスは20万年前ごろにアフリカに登場(とうじょう)し、10万年前ごろにアフリカをでて、ヨーロッパやアジアなど、世界中に広がりました。ちなみに、日本で人類(じんるい)が確認されたのは、およそ4万年前ごろのことです。だから、世界の人々は、肌(はだ)の色や顔つきが違(ちが)っていても、もともと同じ先祖(せんぞ)からわかれた、親戚(しんせき)のようなものです。
いまから4万年前、最初に日本列島(れっとう)に渡(わた)ってきたのは、どんな人たちだったのでしょうか?残念ながら、日本列島(れっとう)は火山が多いため骨が腐(くさ)りやすく、古い人類(じんるい)の骨があまり残っていません。しかし、沖縄県(おきなわけん)の琉球列島(りゅうきゅうれっとう)はサンゴ礁(しょう)の島なので、人骨(じんこつ)がよく残っています。 石垣島(いしがきじま)の白保竿根田原洞穴遺跡(しらほさおねたばるどうけついせき)は、人骨(じんこつ)が約20人分もみつかって、世界的にみてもたくさんの旧石器時代(きゅうせっきじだい)の人骨(じんこつ)がみつかった遺跡(いせき)として注目されています。この遺跡(いせき)でいちばん古い2万7000年前の人骨(じんこつ)は、30~40才くらいの男性で、身長(しんちょう)は165.2cm、顔つきは中国南部や東南アジアの人々に似ているそうです。縄文人(じょうもんじん)の男性の平均身長(しんちょう)は158cm、弥生人(やよいじん)は163cmですから、石垣島(いしがきじま)の人骨(じんこつ)から考えると、旧石器時代(きゅうせっきじだい)の人は、かなり背が高かったようですね。
旧石器時代(きゅうせっきじだい)の石器(せっき)は、何かを切ったり削(けず)ったりするものがたくさんあります。石器(せっき)のほかにも、木や動物の骨、角などを削(けず)って作った道具があったと考えられていますが、木や、動物の骨や角は、何万年も土に埋(う)もれていると腐(くさ)ってなくなってしまいます。だから、あったとしても、なかなかみつからないのです。 2016年、沖縄県(おきなわけん)のサキタリ洞遺跡(さきたりどういせき)では、2万3000年前の地層(ちそう)から貝で作ったつり針(ばり)がみつかり、世界でいちばん古いつり針(ばり)として注目されました。これからも、どこかで何か、みつかるかもしれませんね。
黒曜石(こくようせき)は、火山が噴火(ふんか)した時のマグマが冷えて固(かた)まってできた天然(てんねん)のガラスです。日本列島(れっとう)は火山列島(れっとう)といわれるほど火山が多いので、黒曜石(こくようせき)がとれるところはたくさんありますが、石器(せっき)が作れるほど質(しつ)の良い黒曜石(こくようせき)がとれる産地は限られています。 驚(おどろ)くのは、本州から約50kmも沖にある東京都(とうきょうと)の神津島(こうづしま)の黒曜石(こくようせき)が、3万8000年前ごろのものとして、静岡県(しずおかけん)や関東(かんとう)地方の遺跡(いせき)から出土(しゅつど)していることです。神津島(こうづしま)は、一度も本州と陸つづきになったことがないので、旧石器時代(きゅうせっきじだい)の人が船をこいで、黒曜石(こくようせき)をとりに行ったと考えなくてはなりません。また、質(しつ)の良いことで有名な和田峠(わだとうげ)の産地は、標高(ひょうこう)1500mを超(こ)える険(けわ)しい山の中にあります。和田峠(わだとうげ)の黒曜石(こくようせき)は、東北地方から関東(かんとう)地方、近畿(きんき)地方の広範囲(こうはんい)にわたってたくさん発見されており、とても人気が高かったことがわかります。
いまから3万年ほど前、鹿児島県(かごしまけん)南部の姶良(あいら)カルデラが大噴火(ふんか)し、鹿児島湾(かごしまわん)ができました。この時の噴火(ふんか)は、日本列島(れっとう)の火山の噴火(ふんか)のなかでも最大級で、その火山灰(かざんばい)は、近畿(きんき)地方でも20cmほど積(つ)もっているし、朝鮮半島(ちょうせんはんとう)でも確認(かくにん)されています。 ドド~ンと大きな音をたてて、山のてっぺんがものすごい勢(いきお)いで火をふいて、火砕流(かさいりゅう)が流れてきて、火山灰(かざんばい)が降(ふ)ってきて……人々は、どれほどビックリしたことでしょう。どれほど恐(おそ)ろしかったことでしょう。 日本列島(れっとう)は、火山列島(れっとう)といわれるほど火山が多いので、これほど大きな噴火(ふんか)でなくても、各地の遺跡(いせき)で火山の噴火(ふんか)で積(つ)もった火山灰(かざんばい)がみつかります。 火山灰(かざんばい)をしらべると、いつごろ、どこの火山が噴火(ふんか)した時のものかがわかるので、遺跡(いせき)の年代を考える手がかりになります。また、文字で書かれた記録(きろく)のない、大昔の災害(さいがい)やその被害(ひがい)の様子を知ることもできます。火山の噴火(ふんか)は、当時の人々にとっては大変気の毒なできごとですが、それも研究(けんきゅう)して、未来(みらい)に役立てようとしているのです。
<参考文献>町田洋、新井房夫『新編火山灰アトラス~日本列島とその周辺』東京大学出版会2003年
日本は小さな国ですが、地域(ちいき)によって、言葉や食べ物、生活のしかたや祭りに、違(ちが)いがあります。そういう地域(ちいき)による違(ちが)いは、旧石器時代(きゅうせっきじだい)の石器(せっき)の作り方にもみることができます。 旧石器時代(きゅうせっきじだい)の後半になると、東北(とうほく)地方、関東(かんとう)・中部地方、近畿(きんき)・中国・四国地方、九州(きゅうしゅう)地方と、それぞれ特徴(とくちょう)のある石器(せっき)を作るようになります。なかでも、近畿(きんき)・中国・四国地方では、世界的にも珍(めず)しい石器(せっき)の作り方をしていて、それらは「瀬戸内技法(せとうちぎほう)」とよばれています。 瀬戸内技法(せとうちぎほう)で作られた石器(せっき)は、佐賀県(さがけん)や山形県(やまがたけん)、新潟県(にいがたけん)でもみつかっています。この時代(じだい)にも、近畿(きんき)・中国・四国地方から、佐賀県(さがけん)や東北(とうほく)地方まで移動(いどう)した人々がいたのです。車(くるま)も道路(どうろ)も地図(ちず)もなかった時代(じだい)に、ずいぶん遠いところまで行ったのですね。
❶旧石器時代(きゅうせっきじだい)は寒かった
人類(じんるい)は、約700万年前にアフリカで誕生(たんじょう)しました。そして、260万年前ごろから、石を打ち割(わ)ってつくった打製石器(だせいせっき)を作りはじめます。道具を作るというのは、他の動物ではみられない、人類(じんるい)だけの特徴(とくちょう)です。
人類(じんるい)が道具を作り、使いはじめた最初の時代(じだい)を、旧石器時代(きゅうせっきじだい)とよびます。地球(ちきゅう)には、260万年前から現在までずっと、氷期(ひょうき)という、とても寒い時期がたびたび訪れています。氷期(ひょうき)と氷期(ひょうき)の間の暖(あたた)かい時期は短(みじか)く、ほとんどが寒冷(かんれい)です。いちばん最近の氷期(ひょうき)は7万年前ごろからはじまり、およそ1万年前に終わったと考えられていて、いまわかっている日本列島(れっとう)の旧石器時代(きゅうせっきじだい)は、この最後の氷期(ひょうき)にあたります。
❷日本列島(れっとう)の旧石器時代(きゅうせっきじだい)
4万年前ごろ、人類(じんるい)が日本列島(れっとう)にもやってきます。そのころの日本列島(れっとう)は大陸とはつながっていなかったので、船(ふね)で渡(わた)ってこなければなりません。しかし、旧石器時代(きゅうせっきじだい)の遺跡(いせき)からは、船(ふね)そのものが発見されていないので、人々がどうやって日本列島(れっとう)に渡(わた)ってきたのか、大きな謎(なぞ)です。
それでも人類(じんるい)は、日本列島(れっとう)の各地に広がり、どんどん増えていきました。いま日本では、旧石器時代(きゅうせっきじだい)の遺跡(いせき)が1万か所以上みつかっています。日本の面積を考えると、世界的にみても大変な多さといえます。日本列島(れっとう)は、昔から住みやすい島だったようですね。
❸もっとも寒かった時
いまから2万年前、最後の氷期(ひょうき)のなかでもいちばん寒くなりました。そのころの平均気温はいまより7~8℃低く、宮崎県(みやざきけん)や福岡県(ふくおかけん)が北海道(ほっかいどう)のような寒さだったと考えられています。
寒くなると、海から蒸発(じょうはつ)した海水の一部が雪となって降(ふ)り積(つ)もり、陸地で氷河(ひょうが)になるので、海水の量が減(へ)り、海水面が低くなります。北海道(ほっかいどう)は大陸と陸つづきとなり、本州と四国、九州はひとつの島になりました。平地に生えた植物は、現在なら標高(ひょうこう)1000m~1500mの高い山に生える植物でした。木もあまりたくさんはなく、平野(へいや)には草原が広がり、ナウマンゾウやオオツノジカのような大きな動物がすんでいました。
だから、瀬戸内海(せとないかい)の海底で、ナウマンゾウの骨がみつかったりします。いま、海の底になっているところをナウマンゾウがのしのしと歩いていたのです。(「行ってみよう岡山県(おかやまけん)」をみてね)
❹人々の暮(く)らし
この時代(じだい)の日本列島(れっとう)の森には、カラマツのような針葉樹(しんようじゅ)とブナなどの広葉樹(こうようじゅ)がありましたが、食べられる実のなる木は少なかったようです。人々は動物を追いかけて、狩(か)りをしながら、移動(いどう)する生活をしていました。そのころの動物には、ナウマンゾウやオオツノジカなどの大きな動物のほかに、イノシシやノウサギ、アナグマなどもいました。人々は落とし穴(あな)をほって罠(わな)をしかけ、槍(やり)という刺(さ)す道具で動物をつかまえました。
また、人々は、草原にテントのような住まいを作るほか、洞窟(どうくつ)や岩陰(いわかげ)を住まいや墓(はか)として利用することもありました。住まいは簡単(かんたん)なものだったようで、建物(たてもの)の跡(あと)だとはっきりわかる遺跡(いせき)の発見例(れい)は、まだ少ないです。でも、石器(せっき)がまとまってみつかって、人々がしばらく暮(く)らした場所だとわかる遺跡(いせき)はたくさんあります。
❺いろいろな道具
この時代(じだい)の道具としては、木や骨でつくったものは腐(くさ)ってしまって残っていませんが、石を打ち割(わ)ってつくる打製石器(だせいせっき)がたくさん発見されています。どんな石でも石器(せっき)が作れるわけではありません。石器(せっき)の材料(ざいりょう)になるのは、割(わ)れ口が鋭(するど)い刃(は)になるような石です。なかでも、黒曜石(こくようせき)は、自然にできたガラスのような石で、とてもよく切れます。そのほか、チャート、頁岩(けつがん)、サヌカイトなど、地域(ちいき)ごとに石器(せっき)作りに適(てき)した石が使われました。
主な石器(せっき)には、狩(か)りの道具である槍(やり)をはじめ、動物の肉を切ったり、骨や木などを削(けず)ったりする小型のナイフのような石器(せっき)、穴(あな)をあけるための錐(きり)のような石器(せっき)などがあります。
また、この時代(じだい)には世界的に珍(めずら)しい、石をすり磨(みが)いてつくる磨製(ませい)の石斧(いしおの)もたくさんみつかっています。この石斧(いしおの)は、大きな動物の狩(か)りや、木を伐採(ばっさい)して削(けず)ったり、動物を解体(かいたい)したりするための道具として使われたと考えられています。
◎旧石器時代(きゅうせっきじだい)は、3つの時期(じき)にわけられます。およそ260万年続きました。
人類誕生(じんるいたんじょう)から現代(げんだい)まで
700万年前に人類(じんるい)が誕生(たんじょう)してから、いろいろな種(しゅ)があらわれては絶滅(ぜつめつ)してきました。いま地球(ちきゅう)に生きている人類(じんるい)=私たちは、「ホモ・サピエンス」とよばれる、いちばん新しい1つの種(しゅ)です。
ホモ・サピエンスは20万年前ごろにアフリカに登場(とうじょう)し、10万年前ごろにアフリカをでて、ヨーロッパやアジアなど、世界中に広がりました。ちなみに、日本で人類(じんるい)が確認されたのは、およそ4万年前ごろのことです。だから、世界の人々は、肌(はだ)の色や顔つきが違(ちが)っていても、もともと同じ先祖(せんぞ)からわかれた、親戚(しんせき)のようなものです。
日本列島(れっとう)に渡(わた)ってきた人々
いまから4万年前、最初に日本列島(れっとう)に渡(わた)ってきたのは、どんな人たちだったのでしょうか?残念ながら、日本列島(れっとう)は火山が多いため骨が腐(くさ)りやすく、古い人類(じんるい)の骨があまり残っていません。しかし、沖縄県(おきなわけん)の琉球列島(りゅうきゅうれっとう)はサンゴ礁(しょう)の島なので、人骨(じんこつ)がよく残っています。
石垣島(いしがきじま)の白保竿根田原洞穴遺跡(しらほさおねたばるどうけついせき)は、人骨(じんこつ)が約20人分もみつかって、世界的にみてもたくさんの旧石器時代(きゅうせっきじだい)の人骨(じんこつ)がみつかった遺跡(いせき)として注目されています。この遺跡(いせき)でいちばん古い2万7000年前の人骨(じんこつ)は、30~40才くらいの男性で、身長(しんちょう)は165.2cm、顔つきは中国南部や東南アジアの人々に似ているそうです。縄文人(じょうもんじん)の男性の平均身長(しんちょう)は158cm、弥生人(やよいじん)は163cmですから、石垣島(いしがきじま)の人骨(じんこつ)から考えると、旧石器時代(きゅうせっきじだい)の人は、かなり背が高かったようですね。
石器(せっき)以外の道具
旧石器時代(きゅうせっきじだい)の石器(せっき)は、何かを切ったり削(けず)ったりするものがたくさんあります。石器(せっき)のほかにも、木や動物の骨、角などを削(けず)って作った道具があったと考えられていますが、木や、動物の骨や角は、何万年も土に埋(う)もれていると腐(くさ)ってなくなってしまいます。だから、あったとしても、なかなかみつからないのです。
2016年、沖縄県(おきなわけん)のサキタリ洞遺跡(さきたりどういせき)では、2万3000年前の地層(ちそう)から貝で作ったつり針(ばり)がみつかり、世界でいちばん古いつり針(ばり)として注目されました。これからも、どこかで何か、みつかるかもしれませんね。
黒曜石(こくようせき)をもとめて
黒曜石(こくようせき)は、火山が噴火(ふんか)した時のマグマが冷えて固(かた)まってできた天然(てんねん)のガラスです。日本列島(れっとう)は火山列島(れっとう)といわれるほど火山が多いので、黒曜石(こくようせき)がとれるところはたくさんありますが、石器(せっき)が作れるほど質(しつ)の良い黒曜石(こくようせき)がとれる産地は限られています。
驚(おどろ)くのは、本州から約50kmも沖にある東京都(とうきょうと)の神津島(こうづしま)の黒曜石(こくようせき)が、3万8000年前ごろのものとして、静岡県(しずおかけん)や関東(かんとう)地方の遺跡(いせき)から出土(しゅつど)していることです。神津島(こうづしま)は、一度も本州と陸つづきになったことがないので、旧石器時代(きゅうせっきじだい)の人が船をこいで、黒曜石(こくようせき)をとりに行ったと考えなくてはなりません。また、質(しつ)の良いことで有名な和田峠(わだとうげ)の産地は、標高(ひょうこう)1500mを超(こ)える険(けわ)しい山の中にあります。和田峠(わだとうげ)の黒曜石(こくようせき)は、東北地方から関東(かんとう)地方、近畿(きんき)地方の広範囲(こうはんい)にわたってたくさん発見されており、とても人気が高かったことがわかります。
旧石器時代(きゅうせっきじだい)から
使われていた
黒曜石(こくようせき)の
産地(さんち)
3万年前の大噴火(ふんか)
いまから3万年ほど前、鹿児島県(かごしまけん)南部の姶良(あいら)カルデラが大噴火(ふんか)し、鹿児島湾(かごしまわん)ができました。この時の噴火(ふんか)は、日本列島(れっとう)の火山の噴火(ふんか)のなかでも最大級で、その火山灰(かざんばい)は、近畿(きんき)地方でも20cmほど積(つ)もっているし、朝鮮半島(ちょうせんはんとう)でも確認(かくにん)されています。
ドド~ンと大きな音をたてて、山のてっぺんがものすごい勢(いきお)いで火をふいて、火砕流(かさいりゅう)が流れてきて、火山灰(かざんばい)が降(ふ)ってきて……人々は、どれほどビックリしたことでしょう。どれほど恐(おそ)ろしかったことでしょう。
日本列島(れっとう)は、火山列島(れっとう)といわれるほど火山が多いので、これほど大きな噴火(ふんか)でなくても、各地の遺跡(いせき)で火山の噴火(ふんか)で積(つ)もった火山灰(かざんばい)がみつかります。
火山灰(かざんばい)をしらべると、いつごろ、どこの火山が噴火(ふんか)した時のものかがわかるので、遺跡(いせき)の年代を考える手がかりになります。また、文字で書かれた記録(きろく)のない、大昔の災害(さいがい)やその被害(ひがい)の様子を知ることもできます。火山の噴火(ふんか)は、当時の人々にとっては大変気の毒なできごとですが、それも研究(けんきゅう)して、未来(みらい)に役立てようとしているのです。
<参考文献>町田洋、新井房夫『新編火山灰アトラス~日本列島とその周辺』東京大学出版会2003年
旅する人たち
日本は小さな国ですが、地域(ちいき)によって、言葉や食べ物、生活のしかたや祭りに、違(ちが)いがあります。そういう地域(ちいき)による違(ちが)いは、旧石器時代(きゅうせっきじだい)の石器(せっき)の作り方にもみることができます。
旧石器時代(きゅうせっきじだい)の後半になると、東北(とうほく)地方、関東(かんとう)・中部地方、近畿(きんき)・中国・四国地方、九州(きゅうしゅう)地方と、それぞれ特徴(とくちょう)のある石器(せっき)を作るようになります。なかでも、近畿(きんき)・中国・四国地方では、世界的にも珍(めず)しい石器(せっき)の作り方をしていて、それらは「瀬戸内技法(せとうちぎほう)」とよばれています。
瀬戸内技法(せとうちぎほう)で作られた石器(せっき)は、佐賀県(さがけん)や山形県(やまがたけん)、新潟県(にいがたけん)でもみつかっています。この時代(じだい)にも、近畿(きんき)・中国・四国地方から、佐賀県(さがけん)や東北(とうほく)地方まで移動(いどう)した人々がいたのです。車(くるま)も道路(どうろ)も地図(ちず)もなかった時代(じだい)に、ずいぶん遠いところまで行ったのですね。
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協力:kid’s考古学研究所
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