衣服とアクセサリー 衣服とアクセサリー

今日は何を着ようかな~って、毎日考えるのは、めんどうくさいですね。
どうして、人間は服を着るのでしょうか? そして、いつごろから服を着るようになったのかな?
現代の大人の女性は、よく耳かざりや首かざりなどのアクセサリーをつけますが、どうして?
男性は、アクセサリーをつけなかったのかなぁ。
大昔の人たちのファッション事情(じじょう)を調べてみましょう。

旧石器時代
(きゅうせっきじだい)

どんな服(ふく)を
着ていたの?

人類(じんるい)は、いつごろから衣服(いふく)を着るようになったのでしょうか?旧石器時代(きゅうせっきじだい)に、人びとがどんな衣服(いふく)を着ていたかは、よくわかっていません。しかし、旧石器時代(きゅうせっきじだい)は、氷河時代(ひょうがじだい)というほど寒い時代です。寒さをのりきるために、狩(か)りでつかまえたシカなどの皮(かわ)で簡単(かんたん)な服(ふく)を作ったようです。衣服(いふく)そのものはみつかっていませんが、掻器(そうき)という小さな石器(せっき)に残るキズを調べたら、皮(かわ)の加工(かこう)に使われたことがわかりました。

アクセサリーは?

現代人(げんだいじん)は、オシャレのために首かざりや耳かざりをつけますが、なぜそういうことをするようになったのか、不思議(ふしぎ)だと思いませんか?もともとそういうアクセサリーには、魔除(まよ)け)や、自分にはないパワーを身につけるため、また身分(みぶん)をあらわすなどの意味があったと考えられます。
人類(じんるい)が作ったもっとも古いアクセサリーは、いまのところ南アフリカの約7万5000年前の遺跡(いせき)でみつかった、1cmたらずの小さな貝に穴(あな)をあけたビーズです。日本列島(れっとう)では、北海道のピリカ遺跡(いせき)や岩手県(いわてけん)の峠山牧場1遺跡(とおげやまぼくじょう1いせき)などで、首かざりがみつかっています。
石製の小玉
ピリカ遺跡/北海道
撮影:小川忠博 提供:今金町教育委員会

縄文時代
(じょうもんじだい)

どんな服(ふく)を
着ていたの?

縄文人(じょうもんじん)がどんな衣服(いふく)を着ていたのか、よくわかっていません。土偶(どぐう)をみると、上着(うわぎ)と短いズボンをはいているようにも見えますが、これも、日常(にちじょう)の服装(ふくそう)なのか、祭りなどの特別な服装(ふくそう)なのか、あるいは、もようとして描(えが)かれたものか、わかりません。いまのところ、長野県(ながのけん)の栃原岩陰遺跡(とちはらいわかげいせき)で、シカの角(つの)でつくった1万年前の縫(ぬ)い針(ばり)が出土(しゅつど)し、日本最古のものとされています。縫(ぬ)い針(ばり)は、長さ3~5cm、太さは2mmくらい。長さがいろいろあるのは、縫(ぬ)うものによって、使い分けていたようです。布(ぬの)をつくるのもたいへんですが、この針(はり)をつくるのもたいへんな作業(さぎょう)だったと思います。
コウゾ

植物でつくる布(ぬの)

地球が暖(あたた)かくなった縄文時代(じょうもんじだい)は、植物がよく生(は)えるようになったので、アサやコウゾ、カラムシなど、草や木のうす皮(かわ)で布(ぬの)を作るようになりました。
福井県(ふくいけん)の鳥浜貝塚(とりはまかいづか)で出土(しゅつど)したアサの布(ぬの)は、現代のアサのハンカチくらいの目のこまかい布(ぬの)でした。その作り方は、ゴザやスダレをつくるのと同じ方法で、とても時間がかかります。半そでの上着(うわぎ)と半ズボンを作るのに、毎日休みなく作っても1年1ヵ月ほど かかるそうです。
服(ふく)を作るのは女性のしごとです。大事に着ないと、お母さんに叱(しか)られますね。

アクセサリーは?

縄文人(じょうもんじん)は、さまざまなアクセサリーを作りました。耳かざり、首かざり、うで輪(わ)、くし、ヘアピン、腰(こし)かざり、足かざりなどがあります。今の人びとがつかっているアクセサリーは、すべて縄文時代(じょうもんじだい)にそろっています。それらをつくる材料は、ヒスイや水晶(すいしょう)、コハクなどのきれいな石、木、ねん土、動物の骨(ほね)・牙(きば)・角(つの)、貝などです。アクセサリーのうち、耳かざりと貝のうで輪(わ)をつけるのは、ほとんどが女性です。うで輪(わ)をつくる貝は、何でもいいわけではなく、いくつかの限られた貝でした。男性がつけるのは、ヒスイやシカの角(つの)で作った腰(こし)かざりでした。
シカの角でつくった腰かざり
里浜貝塚/宮城県
提供:奥松島縄文村歴史資料館
ヒスイの大珠(たいしゅ)
長者ヶ原遺跡/新潟県
提供:糸魚川市教育委員会

ヒスイ

ヒスイは固(かた)い石ですが、美しいので、縄文時代(じょうもんじだい)から古墳時代(こふんじだい)の終わりまで、いちばん大切にされました。日本にはヒスイの産地(さんち)がいくつかありますが、古代の遺跡(いせき)で出土(しゅつど)するヒスイの玉は、ほとんどが、なぜか新潟県(にいがたけん)の姫川(ひめかわ)とその支流でとれたものです。
姫川(ひめかわ)の下流から富山湾沿岸(とやまわんえんがん)にかけて、ヒスイの玉づくりをした遺跡(いせき)がたくさんあります。姫川(ひめかわ)のヒスイは、北は北海道(ほっかいどう)、南は沖縄県(おきなわけん)まで運(はこ)ばれています。
玦状(けつじょう)耳かざり
極楽寺遺跡/富山県
提供:上市町教育委員会

耳かざり

耳かざりには、石でつくった「玦状(けつじょう)耳かざり」と、土でつくって焼いた「耳栓(じせん)」、木で作ってウルシをぬったものなどがあります。
玦状(けつじょう)耳かざりは、耳たぶに穴(あな)をあけてさしこむ、現代のピアスです。中国大陸(たいりく)から伝わってきたもので、縄文時代(じょうもんじだい)にも大陸(たいりく)との交流(こうりゅう)があったことを示(しめ)す重要(じゅうよう)な品です。こうした耳かざりは、もともと女性のアクセサリーです。のちに、男性がつけた例(れい)もでてきますが、数は少なく、少し遅(おく)れてあらわれる「耳栓(じせん)」が、しだいに主流(しゅりゅう)になります。

弥生時代
(やよいじだい)

どんな服(ふく)を
着ていたの?

3世紀に書かれた中国の歴史書(れきししょ)『魏志(ぎし)』倭人伝(ぎしわじんでん)のなかに、弥生人(やよいじん)の服装(ふくそう)について書かれています。男性は、頭にハチマキをし、幅(はば)の広い布(ぬの)を腰(こし)にまきつけて結(むす)んだだけの「横幅衣(おうふくい)」で、古代(こだい)のヨーロッパやエジプト、インド、東南アジアなど、世界各地(かくち)でみられます。女性は、布(ぬの)の中央にあいた穴(あな)から頭をだす「貫頭衣(かんとうい)」です。男性と女性は、服のデザインが違(ちが)っていたようですが、『魏志(ぎし)』倭人伝(わじんでん)によると、人びとはみな裸足(はだし)だったようです。
草木染め
撮影:むきばんだを歩く会

絹(きぬ)と 機織具(はたおりぐ)

弥生時代(やよいじだい)になると、朝鮮半島(ちょうせんはんとう)から、カイコのまゆから絹糸(きぬいと)をとる技術(ぎじゅつ)と、布(ぬの)を織(お)る「機織具(はたおりぐ)」が伝わりました。   
植物から糸を作るのはとても時間がかかりますが、カイコのまゆ1個から800~1000mもの糸がとれ、これを何本か集めて細い糸を作り、機織具(はたおりぐ)で布(ぬの)に仕立てます。おかげで、とてもはやく服が作れるようになりました。絹(きぬ)は、植物で作った布(ぬの)より軽(かる)くて暖かく、ツヤがあって、美しいです。草木染(ぞ)めもしやすいので、色とりどりの服でオシャレを楽しんだことでしょう。
<<参考>>◎カイコの解説/[里山のクラフト便り]

アクセサリーは?

弥生時代(やよいじだい)には、朝鮮半島(ちょうせんはんとう)から新たに、緑色の石でつくる「くだ玉」や「ガラス玉」が伝わります。また、新しいデザインの「竪櫛(たてぐし))や骨(ほね)で作った「ヘアピン」が登場(とうじょう)します。米づくりが広まるとともに、アクセサリーも変わっていったのでした。
ヒスイのまが玉
真名井遺跡/島根県
提供:島根県立古代出雲歴史博物館

まが玉

「まが玉」は、その名の通り「まがった形の玉」のことです。縄文時代(じょうもんじだい)のまが玉は、まだ決まった形がなく、さまざまな形がありましたが、縄文時代(じょうもんじだい)の終わりごろにゼリービーンズのような形があらわれ、弥生時代(やよいじだい)と古墳時代(こふんじだい)に引きつがれます。
まが玉は、ガラスや土でも作られますが、ヒスイで作ったまが玉は、弥生時代(やよいじだい)と古墳時代(こふんじだい)にもっとも大切にされた玉です。まが玉の形の意味については、よくわかっていませんが、縄文時代(じょうもんじだい)に動物の牙(きば)で作られた「牙玉(きばたま)」から発展(はってん)したという説(せつ)があります。
管玉
森遺跡 7号土壙墓 出土/島根県
提供:島根県立古代出雲歴史博物館

くだ玉

「くだ玉」は、弥生時代(やよいじだい)に朝鮮半島(ちょうせんはんとう)から伝わってきた、細長い玉です。くだ玉を、日本列島(れっとう)で最初につくりはじめたのは、山陰(さんいん)地方の鳥取県(とっとりけん)と島根県(しまねけん)で、そこから北陸(ほくりく)地方に伝わりました。
これらの地域(ちいき)では、くだ玉を作るための緑色凝灰岩(りょくしょくぎょうかいがん)やへき玉という緑色の石がとれたからです。弥生人(やよいじん)は、なぜか緑色や青色の玉が大好きでした。山陰(さんいん)地方や北陸(ほくりく)地方でつくられた玉は、九州(きゅうしゅう)や近畿(きんき)地方、関東(かんとう)地方など、各地に運(はこ)ばれました。
砂浜にうめて保管されたイモガイ
具志原貝塚/沖縄県
提供:伊江村教育委員会

南の島の貝のうで輪(わ)

縄文時代(じょうもんじだい)と同じように、うで輪(わ)には、貝やイノシシの牙(きば)などで作ったものもありますが、弥生時代(やよいじだい)になって新しくあらわれるのが、沖縄県(おきなわけん)の島々でしかとれないゴホウラガイ、イモガイ、オオツタノハガイでつくったうで輪(わ)で、北部九州(ほくぶきゅうしゅう)の弥生人(やよいじん)が好(この)んで身につけました。ゴホウラガイは男性用、イモガイとオオツタノハガイは女性用です。オオツタノハガイは、鹿児島県(かごしまけん)の種子島(たねがしま)でもとれました。
       
うで輪(わ)は、片腕(かたうで)に10~20個、両腕(りょううで)につけていた人もいました。重くて働(はたら)くことはできないことから、このうで輪(わ)をつけた人は、有力者(ゆうりょくしゃ)か、神さまを祀(まつ)るシャーマンのような人だと考えられています。(「行ってみよう」沖縄県(おきなわけん)具志原貝塚(ぐしばるかいづか)、鹿児島県(かごしまけん)広田遺跡(ひろたいせき)もみてね)

古墳時代
(こふんじだい)

どんな服(ふく)を
着ていたの?

5世紀の終わりごろ、人物埴輪(はにわ)が登場(とうじょう)します。その埴輪(はにわ)をみると、男性はズボンと上着(うわぎ)、靴(くつ)もはいています。女性は、スカートと上着(うわぎ)です。弥生時代(やよいじだい)の服装(ふくそう)とは、ずいぶん変わりました。
ズボンと靴(くつ)は、おそらくこの時期に朝鮮半島(ちょうせんはんとう)から伝わった馬に乗るための服装(ふくそう)だったと考えられます。男性は、髪(かみ)を左右でわけて、耳の横で束(たば)ねる「美豆良(みずら)」という髪形(かみがた)で、冠(かんむり)や帽子(ぼうし)をかぶった人もいたようです。女性は、頭の上で前後に分けて束(たば)ねた髪型(かみがた)で、額(ひたい)のところに櫛(くし)をさしている人もいます。
機織りする女性の埴輪
甲塚古墳/栃木県
提供:下野市教育委員会

高級な絹織物
(きぬおりもの)

古墳時代中期(こふんじだいちゅうき)になると、朝鮮半島(ちょうせんはんとう)から、より高級な織物(おりもの)をつくる機織具(はたおりぐ)が伝わってきました。これを使えば、幅(はば)60cmほどの布(ぬの)ができます。新しい機織具(はたおりぐ)は複雑(ふくざつ)な織(お)り方ができるのですが、高度な技術(ぎじゅつ)が必要で、誰(だれ)もが使えるものではありませんでした。こうした機織具(はたおりぐ)は有力者(ゆうりょくしゃ)のための布(ぬの)を織(お)るときだけに使われ、一般的(いっぱんてき)には弥生時代(やよいじだい)と同じ道具を使っていたと考えられます。もちろん、植物でつくった布(ぬの)も使われています。

アクセサリーは?

弥生時代(やよいじだい)には、朝鮮半島(ちょうせんはんとう)から新たに、緑色の石でつくる「くだ玉」や「ガラス玉」が伝わります。また、新しいデザインの「竪櫛(たてぐし))や骨(ほね)で作った「ヘアピン」が登場(とうじょう)します。
米づくりが広まるとともに、アクセサリーも変わっていったのでした。
埴輪 櫛をさす女子
伊勢崎市波志江町 出土/群馬県
提供:群馬県立歴史博物館
埴輪 首飾りをつけた男性
塚廻り古墳群 3号墳出土/群馬県
所蔵:文化庁 提供:群馬県立歴史博物館
埴輪 アクセサリーをつけた女性
塚廻り古墳群 3号墳出土/群馬県
所蔵:文化庁 提供:群馬県立歴史博物館

埴輪(はにわ)が語る、男性も女性もアクセサリー

人物埴輪(じんぶつはにわ)をみると、玉を連(つら)ねた首かざりや耳かざり、うで輪(わ)は、女性も男性もつけています。足輪(あしわ)をつけていることがわかるのは、女性の埴輪(はにわ)のみですが、男性はズボンをはいているから、見えないだけかもしれません。男性も女性も同じように「まが玉」をつけています。
縄文時代(じょうもんじだい)や弥生時代(やよいじだい)には、男女でアクセサリーに違(ちが)いがありましたが、古墳時代(こふんじだい)には違(ちが)いはなさそうです。男女よりも、身分(みぶん)の違(ちが)いの方が重要(じゅうよう)だったのかもしれません。
出雲(いずも)に特徴的(とくちょうてき)な玉
知夫村 高津久2号横穴墓出土/島根県
所蔵:知夫村教育委員会
提供:島根県立古代出雲歴史博物館

出雲の玉つくり

「まが玉」は、弥生時代(やよいじだい)にはヒスイでつくるものでしたが、古墳時代(こふんじだい)になると、あらたに濃(こ)い緑色のへき玉や、オレンジ色のメノウ、透明(とうめい)な水晶(すいしょう)で作ったものが各地(かくち)の古墳(こふん)で出土(しゅつど)しはじめます。これらのまが玉は、出雲(いずも/いまの島根県松江市・しまねけん まつえし)の花仙山(かせんざん)の周辺(しゅうへん)でつくられたもので、そこから各地(かくち)に運(はこ)ばれたものです。
花仙山(かせんざん)のまわりには、弥生時代(やよいじだい)の終わりごろから古墳時代(こふんじだい)、奈良(なら)・平安時代(へいあんじだい)まで、たくさんの玉つくりの遺跡(いせき)があります。出雲(いずも)の玉つくりは、それまでヒスイでつくられるものだったまが玉をへき玉やメノウ、水晶(すいしょう)で作るなど、弥生時代(やよいじだい)の玉つくりのルールをやぶって、独特(どくとく)のつくり方をはじめ、全国に運(はこ)ばれました。
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