昔の国名がのっている日本地図は、
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あ行
姶良カルデラあいらかるでら
鹿児島県の錦江湾の北にあった火山が、約3万年前に大爆発し、大地に大きなくぼみ(カルデラ)ができた。いまの錦江湾や桜島は、この火山の噴火でできたもの。このカルデラ噴火の時の「AT火山灰(えーてぃーかざんばい)」は、東北地方南部までの広い範囲に積もった
亜寒帯性気候あかんたいせいきこう
温帯と寒帯の中間の地域の気候のこと。もっとも寒い月はマイナス3度、もっとも暖かい月は10度以上で、寒さにつよい針葉樹が広がる。北半球では緯度40~70度で、中国東北部やロシア、ヨーロッパ東部やアメリカ北部などの地域
朝顔形埴輪あさがおがたはにわ
筒(つつ)のような形の埴輪の上部が朝顔の花のように(ラッパ状に)広がっている埴輪
飛鳥時代あすかじだい
7世紀。奈良県の飛鳥(あすか)地域に天皇の宮殿(きゅうでん)があった時代
阿蘇黄土あそおうど
熊本県阿蘇山(あそざん)の火口にたまった黄色い土。リモナイトとも呼ばれる。クレヨンの黄土色は、この土で作られる。7割が鉄分で、古代には、これを焼いて赤い顔料(がんりょう)であるベンガラを作った。ベンガラは、土器やいろいろな道具に塗(ぬ)ったり、人を葬(ほうむ)る時に必要な貴重な品だった
亜熱帯あねったい
熱帯についで気温の高い地域。温帯に含む考え方もある。熱帯だけれど冬のある気候
アメリカ式石鏃あめりかしきせきぞく
弥生時代に作られた石の矢じり。アメリカ原住民が使う矢じりの形と似ているので、この名がついた
荒屋型彫刻刀あらやがたちょうこくとう
旧石器時代に、北海道・東北地方・中部地方の日本海側を中心にみられる石器。日本だけでなく、サハリン、シベリア、アラスカまでの広い地域で共通する。新潟県の荒屋遺跡でたくさんみつかったので、この名がついた
家形石棺いえがたせっかん
古墳時代にみられる石棺の1種で、蓋(ふた)が屋根の形をしている。5世紀後半から6世紀に流行した
鋳型いがた
青銅器や鉄器をつくる時に、材料の金属(きんぞく)を溶(と)かして、流し込む型(かた)のこと。土製と石製がある。鋳型に流した材料が冷えたら、鋳型(いがた)を壊して製品をとりだす。こういう作り方を鋳造(ちゅうぞう)といい、鋳造で作った金属器を「鋳物(いもの)」という
石斧いしおの
木などを切るために石で作った斧。「せきふ」ともいう
石釧いしくしろ
石で作ったうで輪(わ)
石皿いしざら
ドングリなどの殻(から)を割(わ)ったり、すりつぶして粉(こな)にする時の、うけ皿になる石器。このうえに、ドングリなどをおいて、すり石やたたき石で割(わ)ったり、つぶしたりする。そのほかに、パンやクッキーのようなものを、こねたり焼いたりするために利用していた可能性も考えられる
石庖丁いしぼうちょう
米づくりとともに朝鮮半島から伝わった、稲の穂をつむための石器。手のひらににぎれる大きさで、2つの穴に通したヒモに指をいれて使う。弥生時代の後期に鉄器が広まると、使われなくなった
石枕いしまくら
石で作った枕(まくら)。古墳時代に、古墳に葬(ほうむ)る人の頭をささえるように置かれた
石屋形いしやがた
古墳時代後期(6世紀)に、北部九州に流行する、遺体(いたい)をおく施設(しせつ)。石を組み合わせて、家のような形を作るので、この名がついた
石槍いしやり
長い柄の先端につけた、鋭い刃をもつ打製石器。日本では、基本的に狩(か)りの道具である
威信具/威信財いしんぐ/いしんざい
身分の高さや威厳(いげん)を示すための品物
一宮いちのみや
全国の各国ごとに、いちばん格式(かくしき)が高いとされた神社のこと。平安時代ごろから、地域のなかで一宮、二宮、三宮などの順番ができていった
伊都国いとこく
3世紀のおわりに書かれた『魏志』倭人伝(ぎしわじんでん)にでてくる、倭のクニグニの一つ。現在の福岡県糸島市の三雲井原遺跡がその都で、三雲南小路遺跡や平原遺跡がその王墓と推定されている
遺物いぶつ
遺跡で出土した、人間の生活を知る手がかりになるようなもの
入れ墨いれずみ
肌に針(はり)のようなもので穴をあけ、そこに色をうめこんで、顔や体にさまざまなもようや絵をえがく。古代には世界各地の民族がおこなっていた風習。大人(おとな)になるための儀式としておこなわれる場合が多かった。時代とともに、本来の意味が失われて、国によっては重い刑罰(けいばつ)としておこなわれた
岩陰遺跡いわかげいせき
崖(がけ)のふもとで、上の方にはりだした岩を屋根のかわりにして生活をした跡
ウッドサークルうっどさーくる
太い柱を円形にたて並べた場所で、縄文時代のまつりの場。環状木柱列(かんじょうもくちゅうれつ)ともいう
埋甕うめがめ
縄文時代に、深鉢(ふかばち)という背の高い土器を埋めたもの。死んだ子供を土器にいれて埋めたものや、一度ほうむった人の骨だけを集めて土器にいれて埋めたものと考えられる
漆うるし
ウルシの木の表面に傷(きず)をつけると、木から出てくる汁(樹脂(じゅし)液)。これを加工(かこう)して、黒や赤の色をつけて器(うつわ)などいろいろなものの表面にぬると、ツヤのある美しい品になる
AT火山灰えーてぃーかざんばい
約3万年前に、鹿児島湾(かごしまわん)にある姶良(あいら)カルデラでおきた巨大な噴火(ふんか)によって生じた火山灰(かざんばい)が、風に飛ばされ、日本列島(れっとう)の広い範囲で積もったもの。頭文字の「あ」と「た」をローマ字であらわして「AT火山灰」、または「姶良Tn火山灰」という
恵山文化えさんぶんか
北海道函館市の恵山貝塚の出土品にもとづいて名前(なまえ)が付けられた。本州では弥生時代の中ごろにあたる時期、この地域では金属(きんぞく)でできた道具を使わず、縄文をつけた土器、石・骨・木でできた道具を使っていた。こうした暮らしぶりは、北海道の南部から中央部にかけて広がっていた。土器のくちの部分や骨(ほね)製のスプーンなどに、クマの姿(すがた)を表現しているのも特色(とくしょく)の一つ
江戸時代えどじだい
1603年から1868年まで。徳川将軍家が日本を治めた時代
蝦夷えみし
古代に、東北地方にくらした人々を、都の人々がよんだ呼び名
エリえり
湖や川などで、ヨシや細いタケなどを組んで作った迷路のようなもの。そこに入ってきた魚を捕まえる
円形周溝墓えんけいしゅうこうぼ
まるい形の盛り土をして、まわりに溝(みぞ)をほった墓。周溝墓は、弥生時代に米づくりとともに朝鮮半島から伝わり、本州の西域や四国に広まった。しかくい方形周溝墓の方が多く、円形は少ない
円筒土器えんとうどき
縄文時代の前期から中期前半にかけて、東北地方北部から北海道南西部に広まった土器群。筒(つつ)のようにずん胴な形をしているので、この名で呼ばれている
円筒埴輪えんとうはにわ
古墳の墳丘(ふんきゅう)にたて並べる、筒のような形の埴輪
邑知地溝帯おうちちこうたい
石川県能登半島の羽咋市から七尾市にかけて延びる地溝帯。地溝帯とは、ほぼ平行する2つの断層の間が溝のように落ちこんでできた細長い地形のこと
押型文おしがたもん
縄文時代早期から前期の土器にみられるもようの一つ。細い棒(ぼう)に、山形・格子(こうし)・だ円形などのもようを刻んで、土器の表面にころがして、もようをつける
帯金具おびかなぐ
革(かわ)または布(ぬの)でつくった帯(おび)の表面に金、銀、金銅(こんどう)などでつくった飾り。ユーラシア大陸で馬にのるのが得意な騎馬民族(きばみんぞく)の人々がもつ文化で、日本列島には古墳時代中期(5世紀)に馬とともに伝わった
か行
海獣かいじゅう
海にすむほにゅう類。くじら、いるか、ラッコ、あざらし など
崖葬墓がいそうぼ
岩陰や洞穴を利用した墓
貝塚かいづか
食べた貝の貝がらが捨てられて、積もって層になった場所。貝がらだけでなく、食べた動物や魚の骨、壊れた土器や石器なども出土する。また、ヒスイの玉などの貴重品も出土し、火をたいた跡があったり、きれいに貝ガラを並べたりしていることがあるので、たんなるゴミ捨て場ではなく、役目がおわったモノをもっていって感謝する場、だったと考えられるような貝塚もある
外堤がいてい
古墳の墳丘(ふんきゅう)のまわりの濠(ほり)の外側の堤(つつみ)のこと
火焔型土器かえんがたどき
縄文時代中期(約5000年前)に、新潟県の信濃川流域にひろまった、独特の土器。その形が炎のようなので、この名がついた
囲形埴輪かこいがたはにわ
建物を囲(かこ)む塀(へい)をかたどった埴輪(はにわ)。囲(かこ)んだ内部に覆(おお)い屋の埴輪(はにわ)が置かれ、そのなかには、井戸や水を流す樋(ひ)などを形づくった土製品(どせいひん)が置かれている。浄水施設(じょうすいしせつ)、水の祭祀場(さいしじょう)、水洗トイレなどの説がある
火砕流かさいりゅう
火山の噴火(ふんか)による高温の火山ガスや溶岩(ようがん)、火山灰などがまじりあって、山の斜面を高速で流れ下る現象(げんしょう)のこと
鍛冶かじ
金属(主に鉄)を熱して、叩いて、さまざまな製品をつくる作業または技術のこと
貸泉かせん
中国の新(西暦8~25年)の時代に作られた青銅製のお金。丸い銭(ぜに)のまんなかに四角い穴があいている。日本の弥生時代の遺跡からも出土しており、遺跡の年代を考える手がかりとなっている
肩甲かたよろい
古墳時代のよろいの一種で、肩から腕(うで)の上部をまもる
冑かぶと
戦いの時に、頭を守るためにかぶるもの。古墳時代に、鉄製の冑(かぶと)が使われた
窯かま
土器や陶磁器(とうじき)、瓦(かわら)などを焼く設備(せつび)のこと。日本列島では、古墳時代の須恵器(すえき)を焼くために、山の斜面にトンネルのような細長い穴をほった窯が出現した
甕かめ
口が大きくひろがって、胴が深い形の土器
亀ヶ岡文化かめがおかぶんか
縄文時代の終わりごろに、東北地方から北海道南部に広がる文化。青森県亀ケ岡遺跡がモデルになっている
甕棺墓かめかんぼ
土器の甕(かめ)を棺として使う埋葬(まいそう)で、縄文時代には子どもの墓や再葬(さいそう)に使われた。弥生時代には、弥生中期に、北部九州で大人の墓として大流行した
伽耶かや
加羅(から)ともいう。3世紀から6世紀中ごろにかけて、朝鮮半島の中南部、洛東江(らくとうこう)流域に存在した小さな国々の総称
カルデラかるでら
火山の噴火(ふんか)で大地にできた大きなくぼみ
灌漑施設かんがいしせつ
田んぼや畑に水を取り入れたり、余った水を流すために作った水路や堰(せき)
岩偶がんぐう
縄文時代に、石で作られた小さな人形(ひとがた)。土偶(どぐう)と同じように、信仰にかかわる品だと考えられる
環濠かんごう
まわりにめぐらせた濠(ほり)
環濠集落かんごうしゅうらく
まわりに濠をめぐらせたムラ(集落)
かんざしかんざし
たばねた髪(かみ)にさして、髪(かみ)をとめるもの。髪かざり
環状集落かんじょうしゅうらく
中央に広場と墓地(ぼち)をつくり、そのまわりに住居を円形にならべてたてたムラ。縄文時代によくみられるムラの形
環状ブロックかんじょうぶろっく
旧石器時代に、石器や石器づくりの材料などがまとまった「石器ブロック」がドーナツ形にならんでいるところ。石器ブロックは、家族のまとまりであり、いくつかの家族が一時的に一緒に生活をした跡だと考えられる
環状木柱列かんじょうもくちゅうれつ
太い柱を円形にたて並べた場所で、縄文時代のまつりの場と考えられる。ウッドサークルともいう
環状盛土遺構かんじょうもりどいこう
縄文時代に、ドーナツ状に土を盛り上げた場所。まつりの場だという考え方もあったが、最近では、住まなくなった住居に土を積んで埋めて、また住居をつくって、ということを繰り返したことで、ドーナツ状の高まりができたのではないかという見方がある
環状列石かんじょうれっせき
ドーナツ形に石を並べた遺跡。日本では、縄文時代の中ごろ以降の東日本で、共同墓地や祭りの場として作られた。「ストーンサークル」ともいう
環頭太刀かんとうたち
柄(刀の握る部分)の端(はし)に、円形の飾りがついた大刀。日本では、古墳時代の中期に、朝鮮半島から伝わった
関東ローム層かんとうろーむそう
40~50万年前から関東平野に積もった火山灰や、風で運ばれてきたチリの層(そう)で、3~5mほどの厚さがある
岩版がんばん
縄文時代に作られた、板のようにうすくした石にもようを刻んだもの。お守りのような品だったのではないかと考えられる
器財埴輪きざいはにわ
盾(たて)、大刀(たち)、よろい・かぶと、日傘(ひがさ)などをかたどった埴輪で、古墳の上やまわりにたてられた形象埴輪ともいう
疑似餌ぎじえ
魚を釣(つ)る時に、魚のエサとなる虫や小魚に似せて作った、にせもののエサ
『魏志』倭人伝ぎしわじんでん
3世紀の終わりごろに中国でつくられた、魏(ぎ)・呉(ご)・蜀(しょく)の3つの国の歴史書『三国志(さんごくし)』のうち、魏の歴史を書いた『魏志(ぎし)』の最後に日本列島(れっとう)の様子が書かれている。その2000字ほどの文章を、『魏志』倭人伝(ぎしわじんでん)と呼ぶ。当時、中国では、日本列島のことを「倭(わ)」、日本列島に住む人のことを「倭人(わじん)」と呼んだので、「倭人伝」という
鬼神きしん
中国で、人が死んだあとの霊魂や恐ろしく荒々しい神のこと、また天地にやどるあらゆる神霊のことをいう
汽水きすい
川の河口や、海とつながっている湖などで、海水と淡水がまじった状態の水のこと
器台きだい
壺(つぼ)などの土器をのせる台として作られた土器
畿内きない
中国の律令制(りつりょうせい)のなかで、都の周辺の特別地区の呼び名。日本では、奈良時代以降、大和(やまと)国(奈良県)、山城(やましろ)国(京都府南部)、摂津(せっつ)国(大阪府北部と兵庫県南東部)、河内(かわち)国(大阪府中部)、和泉国(大阪府南部)の5つの国が「畿内」にあたる。「古代の日本地図」をみてね
局部磨製石斧きょくぶませいせきふ
部分的に磨(みが)いてつくった石斧。日本列島では、旧石器時代に人類が住み始めたころから存在するが、世界的に非常に珍しい。ただし、なぜか旧石器時代の途中で姿を消してしまい、縄文時代の磨製石斧(ませいせきふ)にはつながらない
切り石きりいし
箱形に石を切りだし、表面をたいらに磨(みが)いた石。7世紀になると、切り石を組み立ててつくる横穴式石室があらわれる
金印きんいん
黄金で作ったハンコ。古代の中国で、皇帝が国内各地の王や中国に従うといった外国の王に与えたもの
金環きんかん
輪(わ)になった金銅製(こんどうせい)のイヤリング。朝鮮半島では金で作られたものがあるが、日本列島では金銅製品で、6世紀に流行する
近世きんせい
歴史の時代の分け方。中世と近代の間。日本では、安土桃山時代と江戸時代をさす
金象嵌きんぞうがん
金属・ガラス・木製などの品物に、文字やもようを刻み、そこに金を埋めこむこと、またその技術。日本列島では、古墳時代中期(5世紀)以降の刀や剣(けん)にみられる。金ではなく、銀(ぎん)をうめこんだ「銀象嵌(ぎんぞうがん)」もある
銀象嵌ぎんぞうがん
金属・ガラス・木製などの品物に、文字や模様(もよう)を刻み、そこに金を埋めこむこと、またその技術。日本列島では、古墳時代中期(こふんじだいちゅうき)5世紀以降の刀や剣(けん)にみられる。銀ではなく、金(きん)をうめこんだ「金象嵌(きんぞうがん)」もある
グスク時代ぐすくじだい
12~15世紀、現在の鹿児島(かごしま)県奄美(あまみ)群島と沖縄(おきなわ)県の島々で、グスクと呼ばれる有力者の館(やかた)がたくさん作られた時代のこと
くだ玉くだたま
細長い筒のような形の玉。弥生時代に朝鮮半島から伝わってきた。石製とガラス製がある
百済くだら
4世紀ごろから660年まで続いた朝鮮半島の国。朝鮮半島の国々のなかで、倭国との交流がもっとも盛んだった
屈葬くっそう
手足をおりまげて埋める埋葬(まいそう)のしかた。日本では、縄文時代によくみられる
轡くつわ
馬にのる時に、手綱(たづな)をつけるため、馬の口にくわさせる金具
国史跡くにしせき
国が重要な文化遺産として史跡に指定した遺跡
凹石くぼみいし
手でにぎれるくらいの大きさの石で、まんなかが浅くくぼんている。ドングリなどを割った石器
鞍くら
馬や牛などの背なかに人や物を乗せるために設置された道具
黒潮くろしお
日本列島にそって太平洋(たいへいよう)側を流れる暖流(だんりゅう)
鍬形石くわがたいし
貝のうで輪(わ)の形をまねて石で作ったもの、古墳の副葬品(ふくそうひん)に用いられた
群集墳ぐんしゅうふん
小型の円墳が100とか200も密集した古墳群。古墳時代後期(6世紀)に流行する
燻製くんせい
塩漬(け)した肉や魚に木材などを燃やした煙(けむり)をかけて保存性を高め、特有の風味(ふうみ)をつけた保存食(ほぞんしょく)。またその調理法(ちょうりほう)のこと
珪質頁岩けいしつけつがん
海底にたまった泥岩に後から珪酸(石英)分がしみ込んで、とても硬くなった堆積岩
形象埴輪けいしょうはにわ
古墳の墳丘(ふんきゅう)に並べる埴輪のうち、いろいろな形をつくったもの。家形(いえがた)埴輪・器財(きざい)埴輪・人物埴輪・動物埴輪の4種がある
継体大王けいたいだいおう
507年に大王になった人物。言い伝えにいろいろ違(ちが)いがあって、謎(なぞ)の多い人物だが、福井(ふくい)県坂井市あたりで育ったという
頁岩けつがん
粒子(りゅうし)の細かい泥(どろ)が、水中で水平に堆積(たいせき)して、硬(かた)く固(かた)まった岩石
結合式つり針けつごうしきつりばり
針(はり)の部分と軸(じく)の部分を別々に作って、むすびつける大型のつり針(ばり)。九州では縄文時代から使われ、軸はシカの角、針はイノシシのキバで作られることが多い。朝鮮半島の東海岸にも、よく似たつり針があり、縄文時代から朝鮮半島と九州の人々が交流していたことを示している。弥生時代になると山陰や瀬戸内地方でもみられる
玦状耳飾りけつじょうみみかざり
石でつくった耳かざり。縄文時代の遺跡から出土する。中国にも同じような耳かざりがあるので、縄文時代から大陸と交流があったことを示している
玄室げんしつ
6世紀に流行する古墳の横穴式石室(よこあなしきせきしつ)のなかで、遺体(いたい)をおく部屋のこと
国府型ナイフ形石器こうがたないふがたせっき
ナイフ形石器は、旧石器時代に、石を割(わ)ったカケラの割(わ)れ口の一部を鋭いまま残して刃にした石器。その作り方は地域によって違いがあるが、近畿地方から瀬戸内地方に流行するのが国府型。大阪府藤井寺市の国府(こう)遺跡で出土した石器がモデルになった。ナイフ形石器は縦長の石の破片から作られるのが一般的だが、国府型ナイフ形石器の特徴は、横長の石の破片を使って作ることで、世界的にも珍しい
高句麗こうくり
紀元前1世紀ごろから668年まで続いた朝鮮半島の国
合子ごうす
ふたのついた小さないれもの
高地性集落こうちせいしゅうらく
弥生時代の中期・後期に、米づくりができないような高い山の上に、たて穴建物が数軒、多くて10数軒くらい作られた遺跡のこと。どの高地性集落も、見晴らしのいい場所が選ばれているので、戦争にそなえた見はり場か、または瀬戸内海(せとないかい)沿岸に多いので、航海(こうかい)などについての情報を集める場などの意見がある
工房こうぼう
ものをつくるための建物。作業場
後漢ごかん
紀元後25年から220年まで続いた中国の王朝。前漢を倒した新王朝を滅ぼして、漢王朝を復活させた
国庁こくちょう
7世紀の後半以降、都から諸国に派遣された「国司(こくし)」とよばれる国の長官が仕事をする役所
国府こくふ
国庁(こくちょう)のある場所
国分寺こくぶんじ
741年、聖武(しょうむ)天皇の命令で、国ごとに建てられた寺
国分尼寺こくぶんにじ
741年、聖武(しょうむ)天皇の命令で、国ごとに建てられた尼寺(あまでら)
国宝こくほう
国が重要文化財(じゅうようぶんかざい)に指定(してい)したもののうち、とくに価値の高い建築物・美術工芸品(びじゅつこうげいひん)・古文書(こもんじょ)などを、文部科学大臣(もんぶかがくだいじんん)が指定し、国が保護(ほご)・管理(かんり)する
黒曜石こくようせき
火山から吹き上がったマグマが、急激に冷え固まってできた天然(てんねん)のガラス
小札こざね
鎧(よろい)や冑(かぶと)などを作る小さな鉄の板。糸でつないで鎧(よろい)や冑(かぶと)を作った
古事記こじき
712年に完成した歴史書。まだ、漢字で文章を書くということになれていない時代、昔のできごとは人々が語りついでいた。すると、同じできごとでも、違ったふうに語られて、どれが本当のことかわからなくなってしまった。それで、天武(てんむ)天皇が、これが正しいと思う話を選んで、稗田阿礼(ひえだのあれ)に記憶させた。それを、奈良時代になって、太安万侶(おおのやすまろ)が文字で書きとめて、書物にした。内容は、神々が生まれて日本列島ができる神話から、神々の子孫が地上におりてきて、天皇となった後、一人ずつの天皇の時代のできごとを推古(すいこ)天皇の時代まで書いている
骨角器こっかくき
動物の骨(ほね)や角(つの)、キバでつくった道具。漁具やアクセサリーなどに多い
コハクこはく
樹脂(木からにじみ出る粘液。また、その固まったもの)が数億年から数千年も地中に埋もれて化石になったもの。透明なアメ色をしたものが多く、その美しさから、世界各地で古代から宝石とされている。日本では、旧石器時代からアクセサリーに使われ、世界最古のコハク製品として注目されている。日本では、岩手(いわて)県久慈市がコハクの産地として有名
ゴホウラごほうら
熱帯の大型巻貝。日本では奄美大島(あまみおおしま)より南の海、サンゴ礁(しょう)で生息。貝ガラは厚く、弥生時代の北部九州の人々は、この貝ガラで作ったうで輪を好んだ
子持ち勾玉こもちまがたま
大きなまが玉に、小さなまが玉を1個~複数つけたもの。祭り用の玉だと考えられる
胡録ころく
腰に装着する、矢の入れ物
金銅製こんどうせい
銅または青銅で作った品物の表面に金をはったもの
さ行
しがらみ
川のなかに、木材や板、竹、くいなどを組み合わせて作った柵(さく)。水の流れを調整(ちょうせい)する
細石刃さいせきじん
大きさが1センチから数センチくらいで、厚さが1ミリから2ミリの細長い石器。木や骨、角などで作ったヤリの柄(え)の両側に溝をほり、そこに並べてはめ込んで使われた。旧石器時代の終わりごろ、東アジア、シベリア、アラスカなどに広くあらわれる。日本列島では、旧石器時代の終わりごろから縄文時代への移りかわりの時期に発達し、各地で独特の作り方をした
細石器さいせっき
旧石器時代の終りごろに世界各地にあらわれる、 大きさが1センチから数センチの小さな石器。単独で矢じりとして使うこともあるが、一般には木や骨、角などで作ったヤリの柄(え)の両側に溝をほり、そこに並べてはめ込んで使われた。ヨーロッパでは台形、三角形、半月形などがあるが、東北アジアでは細長い細石刃とよばれる形が多い
再葬さいそう
ほうむった遺体をもう一度ほりだして、骨を集めて、ほうむりなおすこと。縄文時代にさかんにおこなわれた
祭殿さいでん
祭りをおこなうために、特別に作られた建物
叉状研歯さじょうけんし
上の前歯に縦(たて)に水(みぞ)のような切れこみを入れるので、歯がフォークの先のような形になる。縄文時代の終わりごろの東海地方から近畿地方にみられる。神マツリをおこなう特別な人か、ムラの有力者だったと考えられる
砂州さす
海の波や海流で海岸近くにできた、砂や小石が積もった高まり
砂鉄さてつ
磁鉄鉱(じてっこう)の細かいつぶのこと。マグマが冷えてかたまった火成岩にふくまれるもので、火成岩が風化(ふうか)して細かくなり、砂になったもの
サヌカイトさぬかいと
安山岩の1種。讃岐(さぬき)国(いまの香川県)に大きな産地があるので、讃岐岩ともよばれる。ガラス質で緻密(ちみつ)、かたくて、割(わ)れやすいので、ヤリ先や矢じりなど、刃物に使われた
サハリンさはりん
ロシア連邦(れんぽう)の一部で、北海道の北に位置する、南北に細長い島。日本では「樺太(からふと)」といい、江戸時代に松前藩が管理(かんり)していた。日本人とアイヌが約40万人も住んでいたが、第二次世界大戦の後、ソ連(いまのロシア連邦)の領土(りょうど)になった
鞘尻金具さやじりかなぐ
刀の先を保護(ほご)するために、鞘(さや)の先につける金具
三角縁神獣鏡さんかくぶちしんじゅうきょう、さんかくえんしんじゅうきょう
古墳時代に流行する銅鏡の1種。鏡のいちばん外側の断面が三角形にとがっているので、「三角縁」という。また、鏡のもように神像と獣像がえがかれるので、「神獣鏡」という。卑弥呼(ひみこ)女王が中国の魏の皇帝からもらった鏡だという説もあるが、日本で500枚ちかく出土しているのに、中国では1枚もみつかっていないので、日本列島で作られた鏡だという意見もある
三環鈴さんかんれい
5世紀ごろにだけ存在(そんざい)する不思議(ふしぎ)な品。馬具(ばぐ)の一種(いっしゅ)だとする説(せつ)と甲冑(よろい、かぶと)の飾(かざ)りだとする説の2つがあるが、その性格(せいかく)はまだよくわからない。鈴の内部には小石が入っていて、振(ふ)るとコロコロという音が聞(き)こえる
山陽道さんようどう
奈良時代の律令制(りつりょうせい)で定められた古代の行政区(ぎょうせいく)の1つ。播磨(はりま)国、美作(みまさか)国、備前(びぜん)国、備中(びっちゅう)国、備後(びんご)国、周防(すおう)国、長門(ながと)国の8国をまとめた地域の呼び名。また、そこを通り、都へつづく国道の呼び名でもある
敷石住居/敷石建物しきいしじゅうきょ/しきいしたてもの
平たい石を円形に,あるいは部分的に敷(し)いた床をもつ、特殊(とくしゅ)なたて穴建物。 縄文時代中期の後半から後期の初めにかけての限られた期間に,東京,神奈川,静岡,山梨,長野,群馬などに分布する
錣しころ
かぶとやずきんの左右や後ろにたれ下がり、首をおおうもの
史跡しせき
貝塚(かいづか)、ムラの跡(あと)、城の跡(あと)、古墳などの遺跡のうち、歴史・学術上価値の高いものを指し、国や自治体(じちたい)によって指定されるもの
支石墓しせきぼ
ドルメンともいい、新石器時代から青銅器時代にかけて、世界各地で見られる巨石墓の一種。基礎(きそ)となる支え石を数個、埋葬地を囲(かこ)うように並べ、その上に巨大な天井石をのせる。アジアでは、朝鮮半島を中心に、中国東北部から九州北部に広がる。九州では、弥生時代の始まりごろに出現し、弥生時代中期まで残るが、その後は作らなくなる
自然堤防しぜんていぼう
川が洪水で運んできた土砂が、川の流れにそって積もった高まり
湿地しっち
水分が多く、じめじめした土地
斯麻王しまおう
百済(くだら)の第25代の王、武寧王(ぶねいおう 462年 – 523年)の若い時の名前。『日本書紀(にほんしょき)』によると、雄略(ゆうりゃく)天皇の時に、母が倭国(わこく)に人質(ひとじち)として送られることになったが、九州に上陸する手前の島でこの王を出産したので、「しま王」と名付けられ、母と共に百済に送り返されたという。1971年、偶然に武寧王の古墳がみつかり、出土した墓誌(ぼし)に「斯麻王」と書いてあったので、『日本書紀』の記事が正確だったことがわかった
シャーマンしゃーまん
神や精霊(せいれい)と話ができる特殊(とくしゅ)な力をそなえた人
遮光器土偶しゃこうきどぐう
縄文時代の土偶(どぐう)のうち、縄文時代の終わりごろに東北地方北部で流行する独特な形の土偶。雪の光をさえぎる遮光器(しゃこうき)のような目が特徴的なので、この名がついた
邪視文じゃしもん
大きな「目」を描(えが)いた文様(もんよう)。「邪視(じゃし)」は、悪霊(あくりょう)や邪悪(じゃあく)なものをにらみ、近づけない霊力(れいりょく)をもつと信じられていた目のこと
車輪石しゃりんせき
古墳時代の石製品。弥生時代にオオツタノハ貝で作ったうで輪の形を、石で作って古墳の副葬品(ふくそうひん)にしたもの
周濠、周壕しゅうごう
古墳のまわりをめぐる濠(ほり)。水がたまっていない場合は、「壕」を使うこともある
重弧文じゅうこもん
半円形またはカーブを描(えが)く線を何本も重ねたもよう。弥生土器のもようとして、中部・南部九州でよく使われた。また、7世紀後半の寺の平瓦(ひらがわら)のもようにもなった
十字形石器じゅうじがたせっき
プロペラや手裏剣(しゅりけん)のような形の縄文時代の石器。縄文時代後期(約4000年前ごろ)の九州で多くみつかるが、何に使う石器なのかはよくわからない
周堤墓しゅうていぼ
北海道で、縄文時代の終わりごろにみられる共同墓地。直径数十m、高さ数mのドーナツ形の土手(どて)をきずき、その中に墓を作る。墓は土に穴を掘(ほ)っただけの土壙墓(どこうぼ)
重要文化財じゅうようぶんかざい
有形文化財(ゆうけいぶんかざい)のうち、とくに重要だと、国(文部科学大臣)や地方自治体が認めたもの
首長居館しゅちょうきょかん
古墳時代に、ふつうのムラから離(はな)れたところに作られた、首長(しゅちょう)の居場所(いばしょ)。柵(さく)や溝(みぞ)でかこまれた中に、首長の住まい、祭りの場、ものを作る工房、倉庫などがある
修羅しゅら
大きな石をのせてひく、ソリのような運搬具(うんぱんぐ)
上円下方墳じょうえんかほうふん
上が円形で、下が四角い古墳。7世紀後半、ふつうの古墳は作らなくなった時期にあらわれる特殊な形の古墳
縄文海進じょうもんかいしん
縄文時代前期に温暖化がピークをむかえた時に、海水面が上昇して、内陸まで海が入りこんできたこと。当時は、いまより平均気温が2度高くなり、海は5mも上昇した
照葉樹しょうようじゅ
一年中、広くてツヤツヤした葉をつけている木のこと。主に亜熱帯から温帯にかけてみられる常緑広葉樹。日本では、シイ・カシ類がこれにあたり、西日本に多い
条里制じょうりせい
奈良時代から中世におこなわれた、土地の区画制度。土地を縦・横に直線で区画し、区画された1辺約109mの正方形が基本単位(1町)となる
植物珪酸体しょくぶつけいさんたい
プラントオパールともいう。植物の細胞(さいぼう)内にガラスの主成分である珪酸(けいさん)がたまったもので、植物が枯(か)れた後も化石(かせき、プラント・オパール)となって土の中に残っている。イネ科の植物の葉に多く含まれるので、米づくりをしていたかどうかを確かめる参考になる
新羅しらぎ
4世紀ごろに朝鮮半島で成立した国。唐と連合して、660年に百済(くだら)を、668年には高句麗(こうくり)を滅(ほろ)ぼした。676年に朝鮮半島にいのこっていた唐(とう)軍を撃退(げきたい)し、朝鮮半島を統一した。935年に高麗(こうらい)に滅(ほろ)ぼされた
シラス台地しらすだいち
九州南部に厚く積もる、火山灰や火山噴出物でできた台地。鹿児島県内では数十m、厚いところでは100m以上積もっている
辰砂しんしゃ
水銀(すいぎん)の硫化物(りゅうかぶつ)。赤い色の原料として、縄文時代から使われてきた
壬申の乱じんしんのらん
672年、天智(てんち)天皇が亡くなった後、天智天皇の子・大友皇子(おおとものおうじ)と、天智天皇の弟の大海人皇子(おおあまのおうじ)が戦い、大海人皇子が勝(か)って、天武(てんむ)天皇となった
心礎しんそ
塔(とう)の中心の柱「心柱(しんばしら)」を受ける礎石(そせき)。他の柱の礎石よりも大きい
人物埴輪じんぶつはにわ
人物の姿をつくった埴輪。男性も女性もあり、兵士(へいし)や墓守(はかも)り、巫女(みこ)などさまざまな役割(やくわり)の人物がいて、当時の社会の様子や人々のファッションを知る手がかりになる
水銀朱すいぎんしゅ
辰砂から作った赤い色の顔料(がんりょう)
垂飾式耳飾りすいしょくしきみみかざり
金銅製(こんどうせい)の飾(かざ)りに長いくさりがついており、耳からぶら下がるタイプの耳飾り。5世紀後半に、朝鮮半島から伝わった
水中考古学すいちゅうこうこがく
海や湖の底でみつかった遺跡や遺物を調査・研究する考古学。世界各地でおこなわれているが、日本でも、長崎県の海底で13世紀の元寇(げんこう)の時に海に沈んだ元軍の船の調査などがある
須恵器すえき
古墳時代中期に、朝鮮半島から伝わってきた、窯(かま)で焼(や)く方法でつくられた土器。窯で高温で焼(や)くので、灰色の堅(かた)い土器となる
スクレイパーすくれいぱー
旧石器時代によくみられる石器。掻器(そうき)とか削器(さっき)ともいわれ、ものを削(けず)ったり、こそぎおとしたり、毛皮をなめしたりするのに使われた
スタンプ形土製品すたんぷがたどせいひん
縄文時代後期に、東日本から北日本一帯にみられるもので、柄(え)のついたハンコのような形をしているので、この名がついた。ハンコのような面には、いろいろなもようがつけられているが、どのように使ったのか、何のために作られたのかは、わかっていない
脛当てすねあて
戦いの時に、脛(すね)をおおって、保護するもの。古墳時代に鉄製品がある
隅三角持ち送り技法すみさんかくもちおくりぎほう
古墳時代の後期(6世紀)、横穴式石室(よこあなしきせきしつ)の玄室(げんしつ)の天井部分の作り方の1種。天井がドーム状になるよう、玄室の角に三角形の板石をつみあげていく。こうした作り方は、朝鮮半島の高句麗(こうくり)の古墳の石室に古くからある
すり石すりいし
片手で握(にぎ)れるくらいの丸みのある石で、石皿(いしざら)にのせた木の実やベンガラ、朱などをすりつぶすために用いられたと考えられる
製鉄遺跡せいてついせき
鉄をつくった遺跡。弥生時代には、鉄のカタマリを熱して叩いて品物をつくっていた。古墳時代の後期以降になると、鉄鉱石や砂鉄から鉄そのものを作るようになった
青銅器せいどうき
銅に、少量の錫(すず)と鉛(なまり)をまぜた合金。弥生時代に朝鮮半島から伝わった。材料は、炉(ろ)を使って高い温度で溶かし、鋳型(いがた)に流し込んでつくる
世界自然遺産/世界文化遺産せかいしぜんいさん/せかいぶんかいさん
人類(じんるい)共通の宝物として、守っていく必要があると世界的に認められたものを「世界遺産(せかいいさん)」という。世界遺産には、人類が残した歴史・文化の証(あかし)ともいえる文化遺産と、自然環境や景観などの自然遺産がある
堰せき
川の流れをせきとめたり、調整(ちょうせい)するための施設(しせつ)。弥生時代から、木材を組んだ柵(さく)のような堰(せき)が作られている
石人石馬せきじんせきば
5~6世紀に福岡県・熊本県・大分県で流行した、古墳の墳丘に埴輪のように建てる石造物。人物、武器、馬などがある
石製模造品せきせいもぞうひん
古墳時代に、祭りや儀式(ぎしき)、古墳の副葬品(ふくそうひん)として、石で作られたミニチュアの模造品(もぞうひん)。作られた模造品は、剣(けん)などの武器や、斧(おの)、鍬(くわ)、鎌(かま)などの農具(のうぐ)・工具(こうぐ)、容器(ようき)、はたおり具、玉、銅鏡などがある
石刀せきとう
縄文時代の終わりごろに石で作られた刀。実用品ではなく、祭りや儀式(ぎしき)のためのものと考えられている
石棒せきぼう
縄文時代に、男性器の形を石で作ったもの。祭りや祈りにかかわる石器で、小さいものは10cm前後、大きいものは2m近くある。命のよみがえりを願ったのか
舌ぜつ
銅鐸(どうたく)の内側にぶらさげて、銅鐸の内側を叩(たた)いてならす、棒(ぼう)のような部品。青銅製や石製がある
石灰岩せっかいがん
サンゴなどの石灰質のかだらをもつ生き物の死がいや、海水にとけこんだ石灰分が固まってできた岩石
石核せっかく
打製石器を作る時、もとの石を叩(たた)いて割(わ)って、石器を作りやすい大きさのカケラ(剥片)を作るのだが、そのカケラをとった元の石のかたまりのことを石核という
石冠せっかん
縄文時代の石製品。冠(かんむり)のような形をしているので、この名がついた。北海道では、縄文時代前期にあらわれ、すり潰(つぶ)すために使われた道具だとされている。それとは別に、本州では縄文時代の終わりごろにあらわれるが、実用品ではなく、祭りや儀式(ぎしき)につかわれたものではないかと考えられている
石棺せっかん
板のような石を組みあわせて作った棺(かん、ひつぎ)。弥生時代、古墳時代にみられる
石剣せっけん
剣(けん)のような形をした石器。縄文時代と弥生時代にある。縄文時代のものは、縄文時代の終わりごろにあらわれ、大型の石棒(せきぼう)が変形したものとされている。丁寧に磨かれ、文様が彫刻されたものもある。副葬品にもなるが、多くは建物内や配石遺構・盛り土遺構で出土し、焼かれていたり、他の祭祀品と一緒に出土するので、武器というより祭りの道具と考えられる。弥生時代のものは、朝鮮半島から伝わってきた磨製石剣(ませいせっけん)とサヌカイトで作られた打製石剣(だせいせっけん)がある。弥生時代中期から後期にかけて金属製に変わる
瀬戸内技法せとうちぎほう
旧石器時代に、打製石器を作る時、石器を作りやすい大きさに石を割ってカケラ(剥片)を作るのだが、縦に長細いカケラを作るのが一般的。しかし、近畿地方から瀬戸内地方では、世界的に珍しいことに、横長のカケラを作る。これを瀬戸内技法を呼ぶ
前漢ぜんかん
紀元前206年から紀元後8年まで続いた中国の王朝
線刻壁画せんこくへきが
古墳時代後期(6世紀)から7世紀にかけて、古墳の横穴式石室(よこあなしきせきしつ)や横穴墓(よこあなぼ)の壁に、細い線で、船、人物、鳥などの絵を描いたもの。熊本県、福岡県など九州に多いが、本州では大阪府と、関東・東北地方の太平洋岸にみられる
尖頭器せんとうき
旧石器時代の打製石器。先がとがっているので、柄(え)をつけて、ヤリのようにして、ついたり刺したりしたものと思われる。「ポイント」ともいう
前方後円墳ぜんぽうこうえんふん
古墳時代に作られた古墳のうち、丸い部分に細長い部分が付いた形の古墳。いろいろな形の古墳があるなかで、いちばん大きいのが前方後円墳
前方後方墳ぜんぽうこうほうふん
古墳時代に作られた古墳のうち、四角い部分に細長い部分が付いた形の古墳。古墳時代の前期に多くみられるが、やがてあまり作られなくなっていく
象嵌ぞうがん
「象」は「かたどる」、「嵌」は「はめこむ」という意味で、一つの素材に異なる素材を嵌(は)めこむ技法のこと。金属器、木製品、陶器などに、文字やもようをいれるのに使われる
装飾古墳そうしょくこふん
古墳の横穴式石室(よこあなしきせきしつ)の内側の壁や、横穴墓(よこあなぼ)の入り口のまわりに、円形や三角形、武器や船、人物などを描いたり、彫刻した古墳。熊本県や福岡県に多い。
装飾壁画そうしょくへきが
古墳の横穴式石室(よこあなしきせきしつ)の内側の壁や、横穴墓(よこあなぼ)の入り口のまわりに描かれた壁画のこと。円形や三角形、武器や船、人物などの絵を描く。色を塗って描く彩色、彫刻のように彫る浮彫、細い線で描く線刻の3種類がある。
続縄文時代ぞくじょうもんじだい
北海道は寒いので、弥生時代になっても米づくりはおこなわれず、縄文時代と同じく狩(か)り・漁労(ぎょろう)・採集(さいしゅう)の生活をしながら、本州の弥生文化の影響をうけて、独自な生活文化をきずいた。本州以南の弥生時代から7~8世紀ごろまでを「続縄文時代」と呼ぶ
続縄文文化ぞくじょうもんぶんか
北海道の続縄文時代(ぞくじょうもんじだい)の文化。人々は、前半は海での漁、後半は川でのサケ漁がさかんにおこなわれた
た行
大木式土器だいぎしきどき
縄文時代前期から中期にかけて、東北地方を中心に広まった土器群。宮城県七ヶ浜町の大木囲貝塚で出土した土器群がモデルになったので、この名前で呼ばれている
大珠たいしゅ
ヒスイで作られた、長さ5~15cmの細長い飾(かざ)り玉。中央に穴があいており、男性が腰のあたりにぶら下げていたもの。大型品は、特別な人しかもてなかった貴重品。ヒスイがとれる新潟を中心とする北陸地方から関東地方にかけて多くみられる
打製石器だせいせっき
石を割(わ)って作る石器
叩き石たたきいし
手ににぎって、ものを叩いて割ったりくだいたりする石器
大刀、太刀たち
長い刀(かたな)。古代(こだい)より直刀(ちょくとう)のことを「大刀(たち)」と書く。ただし、平安時代以降、そりのある日本刀(にほんとう)は「太刀(たち)」と書くようになった
たて穴式石室たてあなしきせきしつ
石を積(つ)み上げて作った、棺(かん)を納(おさ)めるための場所。棺を置いたら、大きな石で石室の上の部分をふさぎ、土をかぶせて埋める。一人のための埋葬施設(まいそうしせつ)で、一度ふさげば二度と開けない。たてあな式石槨(せっかく)ともいう
たて穴建物たてあなたてもの
地面をほりさげて床(ゆか)とし、屋根をかぶせた建物。縄文時代から登場し、住居や工房(こうぼう)として使われた
炭化物たんかぶつ
有機物質が焼けて、炭素の多い物質になったもの。焼けて焦げた木材や米粒など
短甲たんこう
古墳時代のよろいの1種。胸から腰の部分をおおう。小札(こざね)という小さな鉄板を皮のひもでつないだものや、板状の鉄板を鉄の鋲(びょう)や革で留めたものがある
淡水たんすい
塩分を含まない水のこと
地殻変動ちかくへんどう
地殻(地球のもっとも外側の、深さ60kmあたりまでの部分)が動くこと。陸地がもりあがったり沈んだり、地震(じしん)がおきたり、火山が噴火(ふんか)したりなど、いろいろな原因で起きる
地下式横穴墓ちかしきよこあなぼ、ちかしきおうけつぼ
古墳時代に、宮崎県南部から鹿児島県にみられる独特な墓。地下にL字の形に穴を掘(ほ)り、穴の奥に埋葬(まいそう)する
地層ちそう
長い時代にわたり、いろいろな土が縞(しま)のように積(つ)み重なっているところ
チャートちゃーと
二酸化ケイ素を主成分とする放散虫(ほうさんちゅう/プランクトン)や海綿動物(かいめんどうぶつ)の殻(から)や骨片(こっぺん)が、海底に堆積(たいせき)してできた岩石
中世ちゅうせい
歴史の時代の分け方。古代と近世の間の時期のことで、日本では、鎌倉時代から戦国時代までをさす
鋳造ちゅうぞう
金属を溶かして液体にし、鋳型に流して品物をつくる方法
彫刻刀形石器ちょうこくとうがたせっき
旧石器時代に作られた、彫刻刀(ちょうこくとう)のような刃(は)がついた石器。動物の骨や角をけずるのに使われた
貯蔵穴ちょぞうけつ
食料などを貯蔵(ちょぞう)しておくために地面に掘(ほ)った穴。日本では、縄文時代から弥生時代にかけてみられ、ドングリなどを貯(た)めておいた
柄頭つかがしら
刀や剣の握るところの先端、または先端を保護(ほご)するためにつける金具
造出しつくりだし
古墳の墳丘(ふんきゅう)につけられた円形または方形のテラスのような場所。さまざまな埴輪(はにわ)が並んでいたりするので、祭りの場とみられる
土笛つちぶえ
土で作った笛。楽器(がっき)は、祭りに必要とされた。縄文時代の終わりごろに、東日本の各地で出土する。それとは別に、弥生時代の前期から中期に、卵をさかさにしたような形の土笛が、日本海側で出土する
土堀り具つちほりぐ
土をほる道具。むかし、「打製石斧(だせいせきふ)」と呼ばれた細長い打製石器に長い棒をつけて、スコップのように使った
鍔つば
刀や剣(けん)を握(にぎ)った手が、すべって刃を握(にぎ)らないように、刃(は)と柄(つか)の間にはさむ鉄の板
壺、壷つぼ
口の部分が細くすぼまった形の土器。倒れても、中身がこぼれない形で、貯蔵(ちょぞう)用の器(うつわ)
積石塚つみいしづか
日本の古墳は土を盛り上げて作るが、土ではなく、石を積(つ)み上げて作る古墳で、朝鮮半島の高句麗(こうくり)に多い。日本では、香川県や長野県など一部の地域にみられる
低湿地ていしっち
低いところにあって、水分がおおく、ジメジメした土地
泥炭層でいたんそう
植物の遺体(いたい)が、地下水や気候条件によって分解(ぶんかい)されずに堆積(たいせき)した層。一般には、温度の低い低湿地(ていしっち)にみられる
鉄戈てっか
鉄でつくった戈(か)という武器。戈は、長い柄(え)に直角につける武器で、古代中国ではよくある。日本列島では、弥生時代中期に朝鮮半島から伝わった。数としては鉄製よりも青銅製の銅戈(どうか)が多い。古墳時代には使われなくなる
鉄器てっき
鉄で作った道具類。弥生時代中期に朝鮮半島から、鉄で作った武器や農具、工具が伝わり、やがて日本列島でも作るようになった
鉄鉱石てっこうせき
鉄の原料になる鉱物(こうぶつ)
鉄鋋てってい
鉄器づくりの原料になる鉄の板。古墳時代に、朝鮮半島から輸入していた
天然記念物てんねんきねんぶつ
動物、植物、地質・鉱物などの自然物のなかで、珍しいもの、滅(ほろ)びてしまいそうなもので、保護(ほご)する必要があると国が指定(してい)したもの
砥石といし
刃(は)をとぐための石
銅戈どうか
青銅でつくった戈という武器 。 戈は、長い柄(え)に直角につける武器で、古代中国ではよくある。日本列島では、弥生時代中期に朝鮮半島から伝わった
陶棺とうかん
粘土(ねんど)を焼(や)いてつくった棺。世界各地にあるけれど,日本では古墳時代後期(6世紀)に近畿地方や中国地方で多く使われた
銅鏡どうきょう
青銅(せいどう)を磨(みが)いて作った鏡(かがみ)。顔をうつす面の裏側には、さまざまなもようや、文字がかかれている。銅鏡は、古代の中国で作られはじめた。日本列島では弥生時代から古墳時代にかけて、中国から手に入れたり、列島内でさかんに作り、有力者のしるしとして、墓の副葬品(ふくそうひん)になったり、祭りなどに使われた
銅釧どうくしろ
青銅(せいどう)製のうで輪。弥生時代中期に現われた。沖縄周辺でしかとれない貝でつくったうで輪の形をまねして作ったもので、貝のうで輪の種類によって、円形やだ円形、卵形、カギ形のでっぱりが付いたものなど、いろいろな形がある
盗掘とうくつ
古墳や遺跡を無断(むだん)で掘(ほ)って、みつかったものを勝手にもちだし、自分のものにすること
陶質土器とうしつどき
窯(かま)で焼(や)く器(うつわ)で、うわぐすりをかけないもの。古墳時代中期に朝鮮半島から伝わった技法で、日本では須恵器(すえき )と呼んでいる。のちの備前焼や信楽焼、常滑焼も、この仲間
刀子とうす
ものを切ったりけずったりする、ナイフ。長さは15cm~30cmくらい。弥生時代から使われた
銅鐸どうたく
青銅(せいどう)製のベル。風鈴(ふうりん)のように、つりさげて鳴(な)らす。内部につりさげた小さな棒(ぼう)で銅鐸の内面を叩(たた)いて音がでる。祭りや儀式(ぎしき)の時に使われて、最後は山奥の斜面などに埋められる。なぜ埋めたのかは、わかっていない
銅鐸形土製品どうたくがたどせいひん
銅鐸(どうたく)の形を土で作って焼いた、銅鐸のミニチュア品
銅矛どうほこ
青銅(せいどう)製の矛(ほこ)、長い柄をつけた武器。北部九州の弥生人がもっとも大切にした青銅器
土器棺どきかん
土器を棺として使ったもの。縄文時代から古墳時代まで、みられる
土偶どぐう
縄文時代に、粘土(ねんど)で作って焼(や)いた人形。大きさは数cm~40数cm。お願いごとや祈りごとをする「神様の像」と考えられる
特殊器台とくしゅきだい
弥生時代の終わりごろに吉備(きび)地方で流行した、壺(つぼ)をのせる台として作られた土器で、有力者の墓(はか)に置かれた。これが、古墳時代の円筒埴輪(えんとうはにわ)のもとになった
特別史跡とくべつしせき
史跡のなかでも、とくに重要だと国が認めた史跡
土坑、土壙どこう
地面にほった穴
土坑墓、土壙墓どこうぼ
地面に穴をほって、遺体を埋めただけの墓
独鈷石どっこいし
縄文時代の終わりごろにみられる、細長く丸みをおびた石器で、仏教の「独鈷杵(どっこしょ)」に形が似ているので、この名がついた。両端は、斧や槌のような形をしており、中央はへこみ、その両側に突帯がある。中央の突帯の間に柄をつけた痕跡があり、端が壊れているものがあることから、柄をつけて何かを叩いて破壊する道具と考えられる。石剣や土偶などと一緒に出土することが多いので、祭りや儀式で使われたようである
突帯文土器とったいもんどき
縄文時代の終わりから弥生時代の初めにかけて流行する土器
土版どばん
縄文時代に作られた、小さな粘土板にもようをつけて焼いたもの。お守りのような品だったのではないかと考えられる
土面どめん
土で作って焼(や)いたお面。縄文時代に、祭りや儀式(ぎしき)の時に使われたもの
鞆とも
弓を射(い)るとき、弓をにぎる左手につける、まるい皮製の道具。つるで手首を打(う)つのを防(ふせ)ぎ、つるにさわって高い音を立てさせる
巴形銅器ともえがたどうき
弥生時代から古墳時代にかけてみられる、青銅(せいどう)製の飾(かざ)り。スイジ貝をまねして作ったとみられるもので、まよけの意味で、盾(たて)の表面などに付けた
豊臣秀吉とよとみひでよし
1537~1598年。戦国時代から安土桃山(あづちももやま)時代にかけての武将(ぶしょう)。織田信長(おだのぶなが)が死んだ後、全国を統一した
鳥居龍蔵とりいりゅうぞう
1870~1953年。有名な考古学者、人類学者、民俗学者
土塁どるい
敵や動物が入ってくるのを防ぐために、土をつみあげた作った壁。弥生時代にムラを囲んだり、中世・近世の山城のまわりに作られる
トンボ玉とんぼだま
もようのはいった小さいガラス玉。弥生時代の遺跡から出土するものは、大陸からの輸入品と考えられる
な行
内湖ないこ
湖の岸の陸側にある、小さい湖のこと。 深さが 1~2 m と非常 に浅いのが特徴
ナイフ形石器ないふがたせっき
後期旧石器時代を代表する石器。材料の石を割(わ)った時にできる鋭(するど)い割(わ)れ口を一部に残して、ナイフのような形を作る。木などの柄(え)の先につけて、狩りで使うヤリにしたり、ナイフのように動物の皮や肉を切ったと考えられる
長持形石棺ながもちがたせっかん
古墳時代中期(5世紀)にみられる、石を組みあわせて作る石棺(せっかん)。昔の物入れの「長持ち」に形が似ているので、この名がついた。奈良や大阪の大きな古墳で使われており、有力者が使った棺と考えられる
なつめ玉なつめだま
棗(なつめ)の実の形に似た、だ円形の玉。石製、ガラス製、コハク製などがある
奈良・平安時代なら・へいあんじだい
「奈良時代」は、平城京(へいじょうきょう)に都がおかれた710年から、平安(へいあん)時代が始まるまで。「平安時代」は、794年に京都に都がうつってから1185年に鎌倉(かまくら)時代が始まるまで。奈良時代と平安時代は、天皇と貴族(きぞく)を中心とする朝廷(ちょうてい)が国を治(おさ)めていた。次の鎌倉時代から、武士(ぶし)が支配(しはい)する時代が始まる
南西諸島なんせいしょとう
九州南端から台湾(たいわん)の北東部にかけて位置するたくさんの島のあつまり。 北から南へ順番に、大隅(おおすみ)諸島、吐噶喇(とから)列島、奄美(あまみ)群島、沖縄(おきなわ)諸島、宮古(みやこ)列島、八重山(やえやま)列島と連なり、沖縄諸島の東に離れて大東(だいとう)諸島、八重山列島の北に離れて尖閣(せんかく)諸島がある
南西諸島の時代区分なんせいしょとうのじだいくぶん
南西諸島の地域では、本土とは違う時代区分が使われており、弥生時代からグスク時代直前までを「弥生~平安並行時代」としている。 また、先島諸島では縄文時代を「先島先史時代前期」、弥生時代からグスク時代直前までを「先島先史時代後期(無時文化期)」としており、前期は「完新世初頭文化期(白保竿根田原洞穴遺跡のみ)」と「下田原文化期」に分けられる。また、遺物がなにもみつからない「空白期」とよばれる時期がある
※先島の空白期は、約16,000~10,000年前、9,000~4,000年前、3,500~2,000年前
※沖縄の空白期は、港川人以降~約7,000年前日本書紀にほんしょき
天武天皇(てんむてんのう/在位672~686年)が川島親王(かわしましんのう)ら12名に命じて作らせた歴史書。720年に完成。国家がつくった、最初の歴史書
根巻石ねまきいし
寺(てら)の建物の柱の根元をかざる石
粘土槨ねんどかく
木棺(もっかん )のまわりを粘土でおおう埋葬施設。古墳時代の前期や中期にみられる
は行
配石遺構はいせきいこう
石を集めて並べた跡。いろいろな形があり、縄文時代の環状列石(かんじょうれっせき)などが知られている。祭りの施設(しせつ)や墓と考えられている
陪塚ばいづか、ばいちょう
大きな古墳のまわりに寄(よ)りそうように作られている小さい古墳。陪塚のない大きな古墳もある
墓穴はかあな
遺体(いたい)を埋葬(まいそう)するために掘(ほ)った穴のこと。「墓壙(ぼこう)」と同じ
破鏡はきょう
わざと割(わ)って使った銅鏡(どうきょう)。弥生時代後期に九州から近畿地方にかけて、生活の場で出土することが多い。中国との行き来がとだえ、鏡を手にいれることが難しくなったから、割って数を増やしたという見方もある
馬具ばぐ
鞍(くら)や鐙(よろい)など、馬に乗(の)るための道具のほか、辻金具(つじかなぐ)や杏葉(ぎょうよう)と呼ばれる馬を飾(かざ)るものの呼び方
剥片はくへん
石器を作る時などに打ちわり、はぎ落としたカケラのこと。石器を作った場所や石器の作り方を復元(ふくげん)する大事な手がかりになる
馬甲ばこう
馬にきせるよろい。日本では、6世紀の古墳で出土する
箱式石棺はこしきせっかん
複数の板石を組み合わせて箱形に作った石の棺
土師器はじき
古墳時代からその後の時代に使われた土器で、窯(かま)は使わず、縄文土器や弥生土器と同じように、野外でたき火をするようにして焼(や)いて作った
馬鐸ばたく
馬につけた飾(かざ)り用の鈴(すず)。銅鐸(どうたく)のような形をしている
馬冑ばちゅう
弓矢などの攻撃(こうげき)から守るため、馬の顔につける冑(かぶと)
抜歯ばっし
健康(けんこう)な歯をわざと抜くこと。世界各地でおこなわれた風習(ふうしゅう)。おとなになる儀式として、結婚した時、家族が死んだ時にするなど、民族によって抜歯の意味はいろいろあるが、人生のくぎりの儀式としておこなわれることが多かったようだ。日本では、縄文時代の終わりごろに広まり、弥生時代にも一部の人々の間でおこなわれた。抜く歯は、ムラによって決まっていたので、歯を見たらどこのムラの人かわかっただろう
埴輪はにわ
古墳の上やまわりにおかれた土製品。弥生時代後期に岡山県の墓におかれた特殊器台(とくしゅきだい)とよぶ、お葬式(そうしき)用の土器がもとになって、古墳時代の円筒埴輪(えんとうはにわ)になったと考えられている。4世紀には家形埴輪や器材形埴輪、鳥形埴輪が加わり、5~6世紀には人物や馬など動物形埴輪も作られた。数は少ないが、土製ではなく木で作ったものもある。また、九州では石で作って墳丘にたてたものがある
パレス式土器ぱれすしきどき
弥生時代後期に東海地方から関東地方で流行した赤く色をぬった土器
盤状集積墓ばんじょうしゅうせきぼ
縄文時代の終わりごろに、東海地方でみられる再葬による埋葬形態。複数の人の大腿骨(だいたいこつ ふとももの骨)を「井」の字の形に組(く)んで、その中に別の場所の骨を納(おさ)めている
板状土製品ばんじょうどせいひん
板のように平たくした土製品
樋ひ、とい
水を遠いところにひくために、木や竹で作った長い管(くだ)のこと。「とい」とも読む
干潟ひがた
海岸に形成された砂と泥の湿地。潮(しお)の満(み)ち引きによって、海の底になったり陸地(りくち)になったりする
ヒスイひすい
緑色の半透明の宝石。日本では、新潟(にいがた)県の姫川(ひめかわ)・青梅川(おうみがわ)の上流でとれるヒスイでつくった玉が、縄文時代から古墳時代まで、いちばん大切にされた
日奈久断層ひなぐだんそう
熊本(くまもと)県益城(ましき)町の南部から八代(やつしろ)市南部・八代海の海底につながる活断層
氷河期ひょうがき
地球がとても寒くなり、平地でも川が凍って氷河ができるような時期のこと
ふいごの羽口ふいごのはぐち
鉄や銅を溶かすために、火の温度を高めるよう、炉(ろ)に風をおくる「ふいご」から、炉のなかに風をおくりこむ土製の管のこと。もっとも古い形のふいごは、動物の皮で作った袋を使ったもの
風土ふうど
その土地土地の気候や地形・地質、自然環境など含む全体のこと
深鉢ふかばち
縄文土器のなかで、深さのある大形の土器。煮炊きやアク抜きに使ったと考えられている
ふき石ふきいし
古墳の墳丘(ふんきゅう)の斜面に、人の頭くらいの大きさの石を並べて、墳丘をおおっている。この石のことを「ふき石」という
複式炉ふくしきろ
土器を埋めた部分、石を組んだ部分、床を浅く掘りくぼめた部分からなる炉。縄文時代中期後半に、東北地方南部を中心に分布する
副葬ふくそう
人を葬(ほう)むる時に、その人が身につけていたものや供(そな)え物を、遺体(いたい)と一緒に埋(う)めること
副葬品ふくそうひん
人を葬(ほうむ)る時に、遺体(いたい)と一緒(いっしょ)に墓に埋(う)める品物。その人が身につけていたアクセサリーや供(そな)え物のほか、遺体(いたい)を守る力をもっていると信じられた品、その人の生前の社会的地位や役割を示す品、などがある
伏甕ふせがめ
たて穴建物の床に穴をほって,底に穴をあけた深鉢(ふかばち)を逆(さか)さに立てて埋(う)める風習。その意味として、①死んだ赤ちゃんを入れて埋め、その上をお母さんが歩くことで、お母さんの体のなかに赤ちゃんをもどすという信仰があったのではないか。②土器を大地の神に供えて,みんなが健康にくらせるように、などと祈ったのではないか、という説がある
風土記ふどき
その土地土地の気候や地形・地質、自然環境など、いろいろなことを記した文書。古代では、奈良時代に政府の命令で、国ごとに、それぞれの土地の様子についての報告書を作らせた。いま、残っているのは『出雲国風土記(いずものくにふどき)』、『播磨国風土記(はりまのくにふどき)』など、ごく一部のみ
舟形石棺ふながたせっかん
古墳時代の石棺(せっかん)の一種。石棺の端(はし)が船(ふね)のように斜めに作られている。割竹型石棺より遅れて、4世紀後半ごろから用いられる
武寧王ぶねいおう
百済(くだら)の第25代の王(462年 – 523年)。1971年、偶然に武寧王の古墳がみつかり、豪華な副葬品が注目された。生きている時の名前を斯麻(しま)王という。「武寧王」は、死んだ後につけられた名前
プラント・オパールぷらんと・おぱーる
植物珪酸体(しょくぶつけいさんたい)ともいう。イネ科の植物の葉には、ガラスの主成分である珪酸(けいさん)が多く含まれている。イネやササの葉をさわると、指(ゆび)が切れそうになるのは、このため。珪酸は、植物が枯(か)れた後も化石(かせき/プラント・オパール)となって土の中に残っているため、米づくりをしていたかどうかを確かめる参考になる
墳丘ふんきゅう
人を埋葬(まいそう)する墓の範囲(はんい)に土を積んで高くした部分
分銅形土製品ふんどうがたどせいひん
両側がえぐれた、だ円形の板のような土製品。昔の秤(はかり)の分銅(ふんどう)に似ていることから、この名がついた。目や鼻をかいたものもある。弥生時代の中期から後期に中国・四国地方、関西地方で流行した。お守りのような用途だったと考えられている
平安京へいあんきょう
794年に、現在の京都市におかれた国の都。中国の唐の都を参考にして造られた。南北5.31km、東西4.57km。ここに都がおかれた年から、鎌倉幕府の成立までを平安時代という。1869(明治2)年に東京が首都になるまで
日本の都だった平地建物へいちたてもの
ほったて柱建物のうち、高床をつくらず、地面を床にする建物のこと。平地式建物ともいう
へき玉へきぎょく
弥生時代や古墳時代に、まが玉やくだ玉の材料として使われた、みどり色の石。数は少ないが、赤色や黄色っぽいのものもある
ベット付き住居べっとつきじゅうきょ
たて穴建物の床の一部を一段高くして、ベッドのような場所を作った建物
ベンガラべんがら
酸化第二鉄を主な成分とする赤い顔料。土器の表面に塗(ぬ)ったり、古墳の横穴式石室に壁画をえがいたり、石棺(せっかん)の内側を塗(ぬ)ったりするのに使われた
鳳凰ほうおう
中国の伝説上の霊鳥で、すぐれた天子(支配者、皇帝)が登場するしるしとして世にあらわれると信じられていた。「鳳」がオス、「凰」はメス。古代中国では、青銅器や古墳壁画などに描かれている
方形周溝墓ほうけいしゅうこうぼ
まわりを溝(みぞ)で囲(かこ)んだ四角い墓。溝(みぞ)で囲(かこ)んだ中には、土を盛(も)っている。弥生時代に朝鮮半島から伝わった
方形配石遺構ほうけいはいせきいこう
しかくい範(はんい)に石を並べた場所
房州石ぼうしゅういし
千葉(ちば)県の房総(ぼうそう)半島でとれる砂質凝灰岩(さしつぎょうかいがん)の名
紡錘車ぼうすいしゃ
細い繊維(せんい)の束(たば)に撚(よ)りをかけて強い糸をつくる道具。円すい形または円盤(えんばん)状の製品で、中央に細い棒を差し込めむ穴がある。土製・石製のほか、鉄製の紡錘車がある
頬当てほおあて
戦いの時につける、あごからほほにかけて、保護するもの
矛、鉾ほこ
長い柄(え)の先に、両側に刃のある身をつけた武器(ぶき)のこと。矛(ほこ)と槍(やり)の区別についてはいろいろな考え方があるが、日本の考古学(こうこがく)では、身を柄(え)に差し込むものを「槍(やり)」とよび、身の根本(ねもと)に柄(え)を差し込むものを「矛ほこ)」とよんで区別する
墓壙、墓坑ぼこう
遺体(いたい)を埋葬(まいそう)するために掘(ほ)った穴のこと。「墓穴(はかあな)」と同じ
墓室ぼしつ
横穴式石室や横穴墓で、遺体をおく部屋のこと
帆立貝形古墳/帆立貝式古墳ほたてがいがたこふん/ほたてがいしきこふん
古墳時代の墓の形の一つで、前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)に比べると、前方部が著しく短いタイプの墓
北海道式古墳ほっかいどうしきこふん
古墳時代(こふんじだい)に古墳(こふん)をつくらなかった北海道(ほっかいどう)から東北北部では、古墳時代(こふんじだい)が終わる7世紀ごろから平安(へいあん)時代の10世紀ごろにかけて、直径5~10メートルほどの円形(えんけい)に土を盛(も)った墓(はか)が多くつくられた。盛り土(もりつち)の中央には遺体(いたい)を埋葬(まいそう)する墓穴(はかあな)があり、首飾(かざ)りや刀などが副葬(ふくそう)された。末期古墳(まっきこふん)ともいう
ほったて柱建物ほったてばしらたてもの
平地に穴を掘(ほ)り、そこに柱を立ててつくる建物。そのうち、地面より高いところに床をつくるものを「高床建物」、地面をそのまま床として使うものを「平地式建物」とも呼ぶ
濠ほり
古墳や建物、ムラのまわりにめぐらせた大きな溝(みぞ)
ま行
埋設土器まいせつどき
埋められた土器。埋甕(うめがめ)ともいう。縄文時代の中ごろから多く見られるようになり、死んだ子どもを入れて埋めたのではないかと考えられている
埋葬施設まいそうしせつ
遺体(いたい)を納(おさ)める施設(しせつ)。石棺(せっかん)や木棺(もっかん)のほか、墓壙(ぼこう)や竪穴式石室(たてあなしきせきしつ)、横穴式石室(よこあなしきせきしつ)なども含む
まが玉、勾玉まがたま
くだ玉のような直線的な玉ではなく、弓のように曲がっている玉。糸を通す穴が目玉のようについている。石製、ガラス製のほか、まれに土製もある
磨製石斧ませいせきふ
磨いてつくった石斧
磨製石器ませいせっき
縄文時代から弥生時代に使われた石器、刃にする部分をみがいて作る。斧(おの)や剣(けん)、槍(やり)、矢じり(石鏃)、石包丁(いしぼうちょう)などがある
末期古墳まっきこふん
古墳時代(こふんじだい)に古墳(こふん)
を作らなかった北海道(ほっかいどう)から東北北部では、古墳時代(こふんじだい) が終わる7世紀ごろから平安(へいあん) 時代の10世紀ごろにかけて、直径5~10メートルほどの円形( えんけい)に土を盛(も)った墓(はか)が多くつくられた。 盛り土(もりつち)の中央には遺体(いたい)を埋葬(まいそう) する墓穴(はかあな)があり、首飾(かざ)りや刀などが副葬( ふくそう)された。北海道式古墳ともいう 巫女みこ
神さまにおつかえする女性のこと
水場みずば
川や湖、湧(わ)き水のある場所などに残された、水を利用した場所。飲み水の確保、ドングリのアク抜き、木材などの貯蔵(ちょぞう)、水辺での祭りなど、縄文時代から平安(へいあん)時代まで、さまざまな性格のものがある。とくに、縄文時代の終わりごろに、川に木材を組んだり、石を積(つ)んだりして、ドングリを川の水にさらしてアクぬきをするための場所が、関東地方を中心によくみつかっている
水戸光圀みとみつくに
徳川光圀(1628~1701年)。水戸藩(みとはん)の2代目の藩主(はんしゅ)。江戸幕府(えどばくふ)をひらいた徳川家康(とくがわいえやす)の孫(まご)。歴史を重んじ、『大日本史』の編纂にとりくんだ
三輪玉みわだま
丸い玉を三つ連(つら)ねた玉。両端の玉は平たいものがある
棟持柱むなもちばしら
屋根のいちばん高いところを「棟(むね)」といい、その棟(むね)を両端(りょうはし)で支える柱として、建物の壁に沿(そ)う柱の列の外側に使われる。神社など大きな建物にみられる
銘文めいぶん
石や金属でつくられたものに刻まれた文章。日本では、「景初三年」(239年)と書かれた銅鏡(どうきょう)や、「ワカタケル」の名前が刻(きざ)まれた埼(さいたま)県稲荷山(いなりやま)古墳の鉄剣(てっけん)などが有名
免田式土器めんだしきどき
弥生時代後期に、熊本(くまもと)県南部を中心に、中部・南部九州に流行する土器のセット
木槨もっかく
埋葬施設の一つで、棺(かん)の外側を石ではなく木材を積(つ)んでかこむもの
木棺もっかん
木の棺(ひつぎ)。箱形に組みあわせるのが一般的。弥生時代後期ごろ、瀬戸内(せとうち)地方では身の部分が丸い木棺(割竹型木棺)も使いはじめる
銛もり
大形の魚をとる漁具(ぎょぐ)の一つ。縄文時代には、動物の骨や打製石器、細石刃を使った銛がある。弥生時代も骨角製の銛や打製石器(だせいせっき)の銛(もり)が使われ、古墳時代には鉄製の銛も登場した
盛土もりど
土を盛りあげた場所。墓、ムラのまわり、建物をたてる場所など
盛土遺構もりどいこう
縄文時代の人たちが、食べたものの残(のこ)りかす、ゴミなどをまとめて捨(す)てた場所。貝塚(かいづか)は、貝がらや骨の割(わ)りあいが多(おお)く、盛土(もりど)遺構(いこう)は、ヒトが掘りあげた土のなかに焼(や)けた骨や焼(や)けた土などが混(ま)じるのが特色(とくしょく)。焼けた土や土器、石器などのおおくの遺物(いぶつ)などがみつかることから、縄文人が祭(まつ)りをおこなった場所(ばしょ)ではないかと考えられる
茂呂型ナイフもろがたないふ
旧石器時代に使われたナイフ形石器の一つで、東京都茂呂(もろ)遺跡で初めて確認されたことからつけられた名称。関東・中部・東海地方に分布する
や行
矢柄研磨器やがらけんまき
弓矢の矢の軸(じく)になる矢柄(やがら 木の部分)をまっすぐ整(ととの)えるために磨(みが)く石器。「U」字状の溝がある
櫓やぐら
見張(みは)り場などの高い建物
矢じりやじり
矢の先につける、とがった部分。縄文時代、弥生時代は石や動物の骨の矢じりが一般的であるが、弥生時代後期から、だんだん銅や鉄の矢じりになっていく
ヤスやす
魚を刺(さ)してとる道具。長い棒(ぼう)の先3~5本の刃先(はさき)を付けた漁具
邪馬台国やまたいこく
魏志倭人伝(ぎしわじんでん)に出てくる国の名の一つ。3世紀ごろ、倭(わ)とよばれていた日本列島(れっとう)にあって、中国の魏(ぎ)王朝と外交(がいこう)していた30の国々をまとめた呼び名)の都(みやこ)がおかれた国。実際にどこにあったのかについては、北部九州説と大和(奈良県)説があって、結論は出ていない
ヤマト政権やまとせいけん
古墳時代に本州・四国・九州のかなりの範囲(はんい)をとりまとめる中心となった政権。大和(やまと、奈良県)で誕生(たんじょう)したので、この名で呼ぶ
ヤマトタケルやまとたける
『日本書紀(にほんしょき)』や『古事記(こじき)』には、第12代景行天皇(けいこうてんのう)の息子(むすこ)として登場する人物。南九州のクマソや関東・東北地方のエミシを征服(せいふく)したなどの話が書かれているが、実在した人物ではなく、さまざまな物語をよせあつめて、「ヤマトタケル」という一人の人物がおこなったように作られた
ヤリガンナやりがんな
板を削(けず)ったり、器(うつわ)の内側をえぐる道具。剣(けん)の先のように、とがった先端がそっている。弥生時代には青銅(せいどう)製があるが、やがて鉄製が広まる
槍先やりさき
槍(やり)の先につける刃。矢じりより大きい。旧石器時代や縄文時代は打製石器(だせいせっき)だが、弥生時代には鉄製になる
有機質ゆうきしつ
動物や植物など、生き物がもとになってできたもの、例えば紙や布、食物などを有機物(ゆうきぶつ)といい、その成分を有機質という
有孔円板ゆうこうえんばん
小さな穴のあいた、直径数センチのうすい石製の円盤(えんばん)。古墳時代の中ごろに流行する、祭りをおこなったような場所で出土することが多い。鏡のミニチュア模造品(もぞうひん)ではないかといわれている
有舌尖頭器ゆうぜつせんとうき
槍先の形をした尖頭器のなかで、根元の部分が小さく飛び出している形のもの。縄文時代の始めに流行した
湧別技法ゆうべつぎほう
黒曜石(こくようせき)を使った細石刃(さいせきじん)の作り方の1つで、旧石器時代の終わりごろに、北海道から東北地方にひろまった。北海道の湧別川ぞいにある白滝(しらたき)遺跡群でみつかったので、この名がついた。この作り方は、ロシア、中国、シベリアなどアジアに広くみられるもの
靭、靫ゆき、ゆぎ
矢をいれて背中にせおうもの
窯業ようぎょう
窯(かま)を使って土器などの焼(や)き物を作る仕事
横穴式石室よこあなしきせきしつ
九州では5世紀から、関西では6世紀から広まる、古墳の埋葬施設(まいそうしせつの一つ。墳丘の横に入口があり、羨道(せんどう、廊下のような通路)を通って遺体(いたい)をおく玄室(げんしつ)に入る。複数の人を埋葬する施設(しせつ)
横穴墓よこあなぼ
崖に、横穴式石室のような空間を掘りこんだ墓。古墳時代後期(6世紀)に各地で作られた。1か所で数十~100以上の横穴墓が密集して作られる
横口式石槨よこぐちしきせっかく
6世紀の終わりから7世紀に広まる、新しい埋葬(まいそう)の施設(しせつ)。きれいに磨(みが)いた石を組みあわせて、棺(かん)の置(お)き場を作ったもの。横穴式石室(よこあなしきせきしつ)とは違い、一人を埋葬するための施設(しせつ)
四隅突出型墳丘墓よすみとっしゅつがたふんきゅうぼ
しかくい墳丘(ふんきゅう)の四隅(よすみ)に、角(つの)がはえたような「突出部(とっしゅつぶ)」をつけた、有力者の墓。弥生時代後期に、島根(しまね)県と鳥取(とっとり)県を中心に、広島(ひろしま)県と岡山(おかやま)県の北部、福井(ふくい)県から石川(いしかわ)県、富山(とやま)県の北陸で作られた
ら行
琉球石灰岩りゅうきゅうせっかいがん
沖縄(おきなわ)など南西諸島にある石灰岩。サンゴ礁(しょう)の化石がもとになっている
琉球列島りゅうきゅうれっとう
琉球(りゅうきゅう)は沖縄(おきなわ)県にあった王国の名前で、鹿児島(かごしま)県南部の奄美(あまみ)大島から沖縄、宮古(みやこ)島、八重山(やえやま)へと、並んでつながる島々をまとめて呼ぶ時の名前
両面すくなりょうめんすくな
『日本書紀(にほんしょき)』に出てくる。仁徳(にんとく)天皇(てんのう)の時代に、飛騨(ひだ、いまの岐阜県)にいた、顔が前後2つ、手足が4本ずつある怪力の持ち主で、人々に乱暴をはたらき苦しめているので退治(たいじ)したという。しかし、地元では、両面すくなが建てたという寺や両面すくなの像がたくさんあり、『日本書紀』の話とは違って、人々に愛されていたことがわかる
輪状文りんじょうもん
二つの角(つの)と突(つ)きだした部分をもつ、輪(わ)っかのもよう。南西諸島のスイジガイがモデルになっていると考えられている。九州の壁画(へきが)古墳(装飾古墳)に描かれ、冠(かんむり)のように頭にかぶっている女性の人物埴輪もある
礫群れきぐん
旧石器時代に、料理をするために焼(や)いた石を集めた場所
炉ろ
料理(りょうり)や暖房(だんぼう)、灯(あか)り、青銅器(せいどうき)や鉄器(てっき)をつくるため、などの目的で火を焚(た)く場所
楼観ろうかん
古代中国の言葉で、櫓(やぐら)のような高い建物のこと。『魏志』倭人伝(ぎしわじんでん)に、卑弥呼(ひみこ)の宮に建(た)っていたと書いてある
鹿角装ろっかくそう
シカの角(つの)に彫刻(ちょうこく)して、刀や剣(けん)の握(にぎ)り手や鞘(さや)の飾(かざ)りにした。古墳時代に流行した
わ行
倭/倭国わ/わこく
古代の中国で、日本列島(おもに西部)のことを呼ぶ名前
倭国大乱わこくたいらん
「倭国大乱」ともいう。中国の歴史書である『三国志(さんごくし)』や『後漢書(ごかんじょ)』に、2世紀の終わりごろに「倭国(おおいに)乱れる」と書かれていて、倭のクニグニが長い間、戦争しているという。その戦争をおわらせるために、クニグニが共通の王として選んだのが、卑弥呼という女性だった
蕨手刀わらびてとう
6世紀から9世紀にかけて、東北・北海道を中心に流行する刀。柄(え)の部分がそりかえって、先端部分(柄頭)が、芽をだしたばかりのワラビのような形をしているので、この名がついた
割竹形木棺わりたけがたもっかん
丸太を二つに割って、竹のようにくりぬいた木の棺。弥生時代後期に瀬戸内で使われ始め、古墳時代前期に瀬戸内、関西で流行する