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2019.12.17
百済(くだら)の第25代の王、武寧王(ぶねいおう 462年 – 523年)の若い時の名前。『日本書紀(にほんしょき)』によると、雄略(ゆうりゃく)天皇の時に、母が倭国(わこく)に人質(ひとじち)として送られることになったが、九州に上陸する手前の島でこの王を出産したので、「しま王」と名付けられ、母と共に百済に送り返されたという。1971年、偶然に武寧王の古墳がみつかり、出土した墓誌(ぼし)に「斯麻王」と書いてあったので、『日本書紀』の記事が正確だったことがわかった