萩平遺跡(はぎひらいせき)は豊川(とよがわ)に面した台地(だいち)の上にある、旧石器時代(きゅうせっきじだい)から縄文時代早期(じょうもんじだいそうき)の遺跡(いせき)です。遺跡(いせき)の範囲(はんい)は、すぐ北にある萩平上ノ段遺跡(うえのだんいせき)や加生沢遺跡(かしょうざわいせき)までふくめると、東西約200m、南北約400mにおよびます。縄文時代早期(じょうもんじだいそうき)の地層(ちそう)からは、土器(どき)や矢じり、木の実などを割(わ)ったりつぶしたりする石器(せっき)、ヤリの先につける石器(せっき)などが出土(しゅつど)しました。縄文時代草創期(じょうもんじだいそうそうき)の地層(ちそう)からは、ヤリの先につける石器(せっき)、カッターのようにけずる石器(せっき)、ヘラのように肉をそぎ落としたりする石器(せっき)などがみつかっています。そして、旧石器時代(きゅうせっきじだい)の地層(ちそう)からは、ナイフ形石器(せっき)などのさまざまな石器(せっき)のほか、石器(せっき)を作った時に出る石くずがたくさんみつかっています。ここは、その規模(きぼ)の大きさと出土(しゅつど)する石器(せっき)の多さから、東海地方(とうかいちほう)中央部での旧石器時代(きゅうせっきじだい)の重要な遺跡(いせき)として注目されています。
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縄文草創期の石器がまとまって出土
出土した石器
今朝平遺跡の土偶
現在の様子 | 現地へは案内の標識があり、遺跡の説明板が設置されています。ただし、出土遺物については、新城市教育委員会・名古屋大学・愛知学院大学・個人蔵など分散して保管されており、残念ながら一般には見学することができません。 |
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