伊川津貝塚(いかわづかいづか)は、渥美半島(あつみはんとう)の先端(せんたん)近くにある縄文時代(じょうもんじだい)の後期(こうき)から晩期(ばんき)の貝塚(かいづか)です。貝塚(かいづか)は、東西約180m、南北約60mの範囲(はんい)に広がっており、もっとも残りのよい場所では、厚(あつ)さ1mにおよぶ貝がらの層(そう)があります。これまでの調査(ちょうさ)で、191人分もの人骨(じんこつ)がみつかっており、なかには吉胡貝塚(よしごかいづか)と同じように盤状集積墓(ばんじょうしゅうせきぼ)や抜歯(ばっし)・叉状研歯(さじょうけんし)された人骨(じんこつ)もあります。また、イヌを埋葬(まいそう)したお墓(はか)もみつかっています。出土(しゅつど)した土器(どき)には、地元の土器(どき)以外に東日本と西日本それぞれの特徴(とくちょう)をもつ土器(どき)もあり、ここが日本列島の東西文化が混じり合う地域(ちいき)であったことがわかります。
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一色青海遺跡絵画土偶
出土した土器
盤状集積人骨
現在の様子 | 現地で最も貝塚の遺存状態が良い神明社周辺は県史跡に指定されています。出土した遺物は田原市渥美郷土資料館に保管・展示されています。 |
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