馬見塚遺跡(ばばづかいせき)は、標高(ひょうこう)8mにもならない低地にできた縄文時代後期(じょうもんじだいこうき)から古墳時代(こふんじだい)の遺跡(いせき)です。なかでも縄文時代後期(じょうもんじだいこうき)と晩期(ばんき)には、2個の大型の深鉢(ふかばち)を組み合わせた土器棺墓(どきかんぼ)がたくさんつくられました。また、石のクワ、石の矢じり、石斧(いしおの)、土偶(どぐう)などもみつかっています。こういった縄文時代(じょうもんじだい)の風習(ふうしゅう)が、この遺跡(いせき)では、弥生時代(やよいじだい)の初めごろまで続いていたことがわかっています。さらに、古墳時代(こふんじだい)にも、滑石(かっせき)でつくった模造品(もぞうひん)を使ったお祭りが、ここではおこなわれていました。
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土器棺
亀塚遺跡人面紋土器
土器がみつかった
現在の様子 | 現地は昭和29年に県指定の史跡になり、それを示す石柱が立っています。出土品は一宮市博物館に保管・展示されています。 |
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