この古墳群は、県内では大きな前方後円墳4基と円墳(えんぷん)3基からなり、九頭竜川(くずりゅうがわ)が福井平野に出たところの尾根(おね)の上の、見晴らしのよい場所にあります。古墳群の中で最も大きいのは手繰ヶ城山古墳(てぐりがじょうやまこふん)で、全長は約129mと県内第2位の大きさを誇ります。鳥越山古墳(とりごえやまこふん)は全長53.7m、5世紀中ごろに作られたと考えられます。埋葬施設(まいそうしせつ)は舟形石棺(ふながたせっかん)を直接うめた墓(はか)と、竪穴系横口式石室(たてあなけいよこぐちしきせきしつ)の2つがみつかっています。石舟山古墳(いしふねやまこふん)は全長79.1mで、作られたのは5世紀中ごろと考えられます。二本松山古墳(にほんまつやまこふん)は全長が89mで、明治時代(めいじじだい)に行われた発掘調査(はっくつちょうさ)では舟形石棺(ふながたせっかん)の中から、金メッキされた冠(かんむり)、銀のメッキされた冠(かんむり)、銅鏡(どうきょう)や玉類、鉄の剣(けん)などが出土しています。古墳が作られたのは5世紀の終わりごろと考えられます。これらの古墳は、九頭竜川(くずりゅうがわ)流域を支配する「越(こし)の国の王」ともいうべき大首長(だいしゅちょう)の墓(はか)と考えられます。
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