岐阜県(ぎふけん)で3番目に大きい前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)です。全長115m、後円部(こうえんぶ)の高さ10mの墳丘(ふんきゅう)で、5世紀に作られたと考えられます。墳丘(ふんきゅう)のまわりに濠(ほり)が二重にめぐりますが、外がわの濠(ほり)の大半は埋(う)め立てられています。出土品(しゅつどひん)には、埴輪(はにわ)やまが玉、耳かざりがあったと言われていますが、発掘調査(はっくつちょうさ)をしていないのでくわしいことはわかりません。
近くに、柄山古墳(からやまこふん 全長91m)、南塚古墳(みなみづかこふん 全長約66m・消滅)や土山古墳(どやまこふん 全長約58m・消滅)の前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)があり、この地域には4世紀から5世紀にかけての有力者(ゆうりょくしゃ)の墓(はか)が続けてつくられています。
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空からみた古墳