長野県(ながのけん)の東の端(はし)の岩陰(いわかげ)で、縄文時代早期(じょうもんじだいそうき)のはじめに縄文人(じょうもんじん)が生活していた跡(あと)がみつかりました。10人分以上の縄文時代(じょうもんじだい)の人骨(じんこつ)がみつかりました。土器(どき)、石器(せっき)、骨角器(こっかくき)、食料にしたと思われる多数の動物の骨(ほね)なども出土(しゅつど)しました。また、骨(ほね)で作ったつり針(ばり)、ぬい針(ばり)の細かい細工(さいく)はすばらしく、当時の人びとの骨(ほね)を加工(かこう)する技術(ぎじゅつ)が高かったことがわかります。また、海から遠くはなれたこの遺跡(いせき)から、サメの歯(は)の加工品(かこうひん)やタカラガイなど海産物(かいさんぶつ)が出土(しゅつど)したことは、海辺(うみべ)の縄文人(じょうもんじん)と交流(こうりゅう)があったことを示しています。なお、この遺跡(いせき)でみつかった2人の子どもの骨(ほね)は、天井の岩が落下(らっか)し、その下敷(したじ)きになって死亡(しぼう)したようで、日本で初めての災害事故(さいがいじこ)として考古学の(こうこがく)学会(がっかい)に報告されました。
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全景
出土した骨角器(こっかくき)
岩陰での暮らしを復元(ふくげん)
現在の様子 | 現地には、標柱(ひょうちゅう)と説明板があります。ただし、見学に行かれる時は、注意板の指示(しじ)にしたがってください。また、川に沿って上流に向かうと、出土品(しゅつどひん)と発掘調査(はっくつちょうさ)のようすを復元(ふくげん)した「北相木村考古博物館」に行くことができます |
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