縄文時代中期(じょうもんじだいちゅうき)を中心とするムラの跡(あと)です。八ヶ岳(やつがたけ)のふもとの標高(ひょうこう)800m~1000mの尾根(おね)や台地(だいち)の上は、縄文時代(じょうもんじだい)の遺跡(いせき)が多くみつかっています。この地域は、湧(わ)き水が豊富(ほうふ)であり、この水に恵まれた環境(かんきょう)が、縄文人(じょうもんじん)がムラをつくる理由(りゆう)になっていると考えられています。井戸尻遺跡(いどじりいせき)のまわりには、たくさんの縄文遺跡(じょうもんいせき)が集中しており、まとめて「井戸尻遺跡群(いどじりいせきぐん)」と呼(よ)びます。いまから70年ほど前、諏訪市(すわし)出身の考古学者(こうこがくしゃ)の藤森栄一(ふじもりえいいち)は、井戸尻遺跡(いどじりいせき)をはじめ、このあたりの縄文遺跡(じょうもんいせき)を研究(けんきゅう)し、この地域(ちいき)が発展(はってん)したのは、縄文時代(じょうもんじだい)から農耕(のうこう)があったからだという説(せつ)をだしました。その説(せつ)が正しいかどうかは、いまでも意見が分かれています。
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史跡公園で遊ぶ子どもたち
香炉形土器【富士見町指定文化財】
四方神面文深鉢
現在の様子 | 現在は、史跡公園(しせきこうえん)として整備(せいび)されています。公園の敷地内(しきちない)には資料館があり、出土(しゅつど)した遺物(いぶつ)を見ることができます |
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