標高(ひょうこう)約100m前後の丘(おか)の上につくられた縄文時代(じょうもんじだい)のムラです。明治時代(めいじじだい)からたくさんの土器(どき)や石器(せっき)が地面(じめん)に落ちていることが知られた遺跡(いせき)です。これまで13回の発掘調査(はっくつちょうさ)がおこなわれ、遺跡(いせき)の範囲(はんい)はおよそ南北600m、東西200m、面積13.6haに広がることが分かりました。多くの住居や炉(ろ)が見つかり、この地域(ちいき)の中心的なムラと考えられています。
出土品(しゅつどひん)も、多くの土器(どき)や石器(せっき)が見つかっています。中でも、ヒスイや透閃石岩(とうせんせきがん)の加工品が出土(しゅつど)し、これらの石で玉(たま)や石斧(いしおの)を作り、各地に運び出されたことがわかりました。
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遠景
縄文土器
ヒスイ製玉と作りかけ