大鹿窪遺跡(おおしかくぼいせき)は、富士山(ふじさん)から西南に続く丘(おか)の上にある、縄文時代(じょうもんじだい)の草創期(そうそうき)のムラです。
旧石器時代(きゅうせっきじだい)、人々は獲物(えもの)を求めて、住む場所をつぎつぎと変えながら生活していました。縄文時代(じょうもんじだい)に入ってもしばらくの間、その暮(く)らしぶりは変わりませんでした。しかし、大鹿窪遺跡(おおしかくぼいせき)からは、この時代の住居(たて穴建物)の跡(あと)が十数軒(けん)もみつかりました。遺跡(いせき)の西側を流れる芝川(しばかわ)の川魚、鹿(しか)や猪(いのしし)、さらに豊かな森のドングリなどを上手に利用することで、長い間そこに住み続けることができるようになったと考えられています。また、遺跡(いせき)の近くにあった溶岩(ようがん)を切り取り、富士山(ふじさん)が見える場所に積み上げて祭りが行われていました。
このように、同じ場所に長く住み続けるくらしを「定住(ていじゅう)生活」といい、大鹿窪遺跡(おおしかくぼいせき)は、その最初の姿(すがた)がよくわかる遺跡(いせき)として重要です。
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上空から見た遺跡と富士山
富士山からの溶岩と住居の跡
遺跡の中で発見された富士山からの溶岩