伊豆箱根鉄道(いずはこねてつどう)の終点となっている修善寺(しゅぜんじ)駅から10分ほどバスに乗り、「上白岩(かいしらいわ)」というバス停で降りると、大きな石を直径12mあまりの円形にならべた環状列石(かんじょうれっせき)が見えます。この列石(れっせき)がつくられたのは、縄文時代中期(じょうもんじだいちゅうき)の終わりごろから後期(こうき)の初めごろのことです。それ以前は、環状集落(かんじょうしゅうらく)といわれる大きなムラに人々が集まって住むことが多かったのですが、この遺跡(いせき)のころになると、小さなムラに分かれて住むようになっていました
環状列石(かんじょうれっせき)の下やそのまわりには、墓壙(ぼこう)がたくさんほられていて、周辺(しゅうへん)に住む縄文人(じょうもんじん)の共同墓地(きょうどうぼち)だったと考えられています。いくつかのムラに分かれて住むようになった人々が、昔からのつながりを意識(いしき)し、それを忘れないようにするため、墓地(ぼち)だけは同じ場所に作ったのではないか、という説(せつ)があります。
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全景
出土した人面把手
発掘調査のようす