蜆塚遺跡(しじみづかいせき)は、佐鳴湖(さなるこ)の東側にある縄文時代後期(じょうもんじだいこうき)~晩期(ばんき)の貝塚(かいづか)とムラの跡(あと)です。中央には広場があり、それを囲(かこ)んで20数軒(けん)の住居(たて穴建物)の跡(あと)や墓地(ぼち)が並び、貝塚(かいづか)も4か所でみつかりました。なかでも第1貝塚(かいづか)は東西40m、南北15mの範囲(はんい)に広がり、静岡県(しずおかけん)では最大(さいだい)の大きさです。貝塚(かいづか)にふくまれる貝はシジミが多く、それが遺跡(いせき)の名前のもとになりました。また貝だけではなく、土器(どき)のカケラ、タイ・フグなど海にすむ魚の骨(ほね)、スズキ・クロダイなど海水と川の水が混じる場所を好む魚の骨(ほね)、さらにイノシシやシカの骨(ほね)なども出土(しゅつど)しています。ムラが営(いとな)まれた当時(とうじ)、佐鳴湖(さなるこ)は遺跡(いせき)のすぐ近くまで広がっていて、太平洋(たいへいよう)に通じる細い入り江だったと考えられています。
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復元(ふくげん)された住居
矢じりが突き刺さったまま出土したイノシシの腰骨
捨てられていた たくさんの貝(第1貝塚)
現在の様子 | 現在は、貝塚(かいづか)の一部が蜆塚公園(しじみづかこうえん)となっています。公園内には、博物館(はくぶつかん)があり、発掘(はっくつ)で見つかった状態のまま保存(ほぞん)され、ガラスごしに貝殻(かいがら)やその間にはさまれている動物の骨(ほね)、土器(どき)などを観察(かんさつ)することができます |
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