登呂遺跡(いせき)は、戦後(せんご)間もない1947年、大学の考古学(こうこがく)研究室(けんきゅうしつ)や地質(ちしつ)学・動植物(どうしょくぶつ)学・建築(けんちく)学などの専門家(せんもんか)を集めた調査団(ちょうさだん)によって発掘調査(はっくつちょうさ)が始められました。調査(ちょうさ)が進むにつれて、弥生時代(やよいじだい)の田んぼやムラの姿(すがた)が明らかにされていき、当時の国民の大きな関心を集めました。
これまでの発掘調査(はっくつちょうさ)では、弥生時代後期(やよいじだいこうき)を中心とする住居(たて穴建物)の跡(あと)12軒(けん)、倉庫(そうこ/ほったて柱建物)2棟(とう)、井戸(いど)や森林の跡(あと)、ムラの南に広がる田んぼなどが発見されています。また壺(つぼ)・甕(かめ)などの弥生土器(やよいどき)、狩(か)りの道具や魚をとる漁具(ぎょぐ)、木で作ったたくさんの農具(のうぐ)・機織具(はたおりぐ)・容器(ようき)、青銅製(せいどうせい)のアクセサリーなどが出土(しゅつど)しました。弥生時代(やよいじだい)の米づくりの姿(すがた)をくわしく知ることができる貴重(きちょう)な遺跡(いせき)です。
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発掘調査のようす(昭和24年)
上から見た登呂遺跡のすがた
出土品(しゅつどひん)
現在の様子 | 現在は、登呂遺跡公園(とろいせきこうえん)として整備(せいび)され、たて穴建物やほったて柱建物、水田などが復元(ふくげん)されています |
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