高尾山古墳(たかおさんこふん)は、愛鷹山(あしたかやま)から伸びる尾根(おね)の先端(せんたん)近くにつくられた前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)で、墳丘(ふんきゅう)の長さは62mです。古墳(こふん)がつくられた年代は、西暦(せいれき)250年ごろとも230年とも言われ、東日本では最も古い古墳(こふん)の一つです。
高尾山古墳(たかおさんこふん)を上から見ると、前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)の丸の部分が四角形に置きかわったような形をしていて、こうした古墳(こふん)を前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)とよびます。木棺(もっかん)を直接(ちょくせつ)おさめた埋葬施設(まいそうしせつ)からは、中国から輸入(ゆにゅう)された銅鏡(どうきょう)や、まが玉、鉄の槍(やり)、鉄の矢じりなどの副葬品(ふくそうひん)が出土(しゅつど)しました。またそのまわりからは、東海(とうかい)地方西部・北陸(ほくりく)地方・近江(おうみ 滋賀県)などの広い範囲(はんい)から持ちこまれた土器(どき)も発見されました。
その内容や大きさから、当時の駿河(するが)地方の一部を治めた有力者(ゆうりょくしゃ)の墓(はか)と考えられ、東日本の古墳時代(こふんじだい)の始まりをしめす古墳(こふん)として大切です。
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北側上空から見た高尾山古墳
埋葬施設から出土した銅鏡
出土した外来系土器
現在の様子 | 現地には、案内看板があります。見学はできますが、古墳(こふん)内は立ち入り禁止となっています |
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