若王子古墳群(にゃくおうじこふんぐん)は、志太(しだ 藤枝)平野を見わたす標高(ひょうこう)110mほどの丘(おか)の上にある豪族(ごうぞく)の墓(はか)です。古墳群(こふんぐん)は、直径10m~18mの円墳(えんぷん)と方墳(ほうふん)が28基(き)、互いにせっするように並んでいます。その多くは、4世紀から5世紀にかけてのかなり古い時期のもので、木棺(もっかん)が直接うめられています(12号墳(ふん)など)。こうした古い時期の古墳(こふん)は、ひとつ一つ離(はな)れてつくられることが多いのですが、ここではまとまってつくられています。横穴式石室(よこあなしきせきしつ)が作られる、新しい時期(6世紀)の古墳(こふん)も、いくつかあります。
出土(しゅつど)した遺物(いぶつ)には、銅鏡(どうきょう)や玉類などのアクセサリーをはじめとして、武器には銅(どう)の矢じり・鉄(てつ)の矢じり・鉄(てつ)のホコ、工具(こうぐ)には鉄(てつ)の斧(おの)・鉄(てつ)の鎌(かま)などがあります。なかでも、車輪石(しゃりんせき)は大切な副葬品(ふくそうひん)で、これが出土(しゅつど)した12号墳(ふん)は、ヤマト政権と関係がある豪族(ごうぞく)の墓(はか)ではないかと考えられています。
※青文字の用語の解説は、用語集ページへ
発掘当時のようす
木棺(19号墳)
横穴式石室