三池平古墳(みいけだいらこふん)は、庵原(いはら)丘陵(きょうりょう)から伸びる尾根(おね)の先端(せんたん)近くにつくられています。古墳(こふん)から見える清水(しみず)平野一帯は、古くは廬原(いほはら)国とよばれ、東国(とうごく)でも重要な地域(ちいき)でした。古墳(こふん)は、尾根(おね)の形を利用してつくられた、全長65mの前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)で、古墳時代中期(こふんじだいちゅうき)のものとされています。後円部(こうえんぶ)にたて穴式石室(たてあなしきせきしつ)があり、その中に安山岩(あんざんがん)で作られた石棺(せっかん)が置かれていました。石棺(せっかん)の内側は、大量(たいりょう)の水銀朱(すいぎんしゅ)で赤くぬられていて、その中から大人の男子の骨(ほね)が発見されています。この古墳(こふん)は、多くの貴重(きちょ/dictionary/#yogo_T_004う)な副葬品(ふくそうひん)でも知られ、石棺(せっかん)の内側からは、アクセサリー類の石釧(いしくしろ)・小玉(こだま)・くだ玉など、石棺(せっかん)の外側からは、銅鏡(どうきょう)・筒形銅器(つつがたどうき)・武具(ぶぐ)・農具(のうぐ)などが出土(しゅつど)しました。古墳(こふん)の大きさや副葬品(ふくそうひん)の豪華(ごうか)さから、廬原(いほはら)国を治めていた有力者の墓(はか)である考えられています。
※青文字の用語の解説は、用語集ページへ
遠景
内側を水銀朱で塗られた石棺
帆立貝形石製品