富山湾(とやまわん)に面した洞窟遺跡(どうくついせき)です。洞窟(どうくつ)は、縄文時代早期(じょうもんじだいそうき)から前期(ぜんき)に、海の波の力によってつくられたと言われる大きなほら穴です。南西に向いて開いており、雨や風が入らず日当たりもよいことから、長い間利用されていました。大正時代(たいしょうじだい)に行われた発掘調査(はっくつちょうさ)で、縄文時代(じょうもんじだい)から室町時代(むろまちじだい)まで、洞窟(どうくつ)が利用されていたことがわかりました。洞窟(どうくつ)のなかでは、貝がらをたくさんすてた場所や火を焚(た)いたことがうかがえる一方、埋葬(まいそう)された人骨(じんこつ)も出ていて、墓(はか)としての利用もありました。この遺跡(いせき)の出土品(しゅつどひん)で有名なのは、縄文時代(じょうもんじだい)の終わりから弥生時代(やよいじだい)の初めにかけての土器(どき)が、数多くみつかったことです。これらの土器(どき)は、北陸地方(ほくりくちほう)において弥生時代(やよいじだい)のはじまりを考える目安(めやす)となっています。
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全景
発掘調査時のようす
出土した遺物
現在の様子 | 現在は、「白山社」の入った海蝕洞窟(かいしょくどうくつ)となっており、洞窟(どうくつ)内には、案内板があります |
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