一の沢遺跡(いちのさわいせき)は、甲府盆地(こうふぼんち)の東南部の、尾根の上につくられた、縄文時代中期(じょうもんじだいちゅうき)の大きなムラの跡(あと)です。11軒(けん)の住居(たて穴建物)の跡(あと)と113基(き)もの土坑(どこう)が確認され、土器(どき)もたくさん出土しました。この時期は、10,000年にも及ぶ縄文時代(じょうもんじだい)の中でもっとも栄えた時期で、山梨(やまなし)・長野(ながの)の中部高地(ちゅうぶこうち)はその中心地といえます。井戸尻式(いどじりしき)と呼ばれるこの地域の土器(どき)は、日本列島の縄文土器(じょうもんどき)の中で、形やもようの複雑な表現が最も優れ、とても日常的に使われていたとは思えないものばかりです。また、そろばん玉のような底をもち、大きくくびれた胴(どう)部に4つの大きな把手(とって)をもつトロフィーのような形の深鉢(ふかばち)形土器や、立体的(りったいてき)にえがかれたイノシシやヘビ、人面(じんめん)・人体(じんたい)のもようで飾(かざ)られた土器(どき)などは、縄文人(じょうもんじん)のもっていた物語を表現しているかのようです。1999年には土製品(どせいひん)44個、石製品(せきせいひん)107個とともに、25個の土器(どき)が国の重要文化財(じゅうようぶんかざい)に指定されています。復元すると高さ20㎝を超(こ)える土偶(どぐう)の上半部は、大型の土偶(どぐう)として注目されるばかりではなく、かわいらしいその表情から「いっちゃん」として親しまれています。これらがつくられた時期は、狩(か)り、採集(さいしゅう)といった自然の恵みに頼(たよ)って生活していたものの、森が豊かで安定した定住(ていじゅう)生活をおくっていたようです。
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遺物の出土状況(4号住居跡)
出土土器【重要文化財】
遺物出土状況(56号土壙)
現在の様子 | 現在は私有地のため、見学できません |
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