釈迦堂遺跡(しゃかどういせき)は、甲府盆地(こうふぼんち)の南東部に位置します。1980~1981年にかけて中央自動車道(ちゅうおうじどうしゃどう)の工事の前に発掘調査(はっくつちょうさ)が行われ、旧石器時代(きゅうせっきじだい)をはじめ、縄文時代早期(じょうもんじだいそうき)から後期(こうき)、古墳時代(こふんじだい)・奈良・平安時代(なら・へいあんじだい)のムラの跡(あと)となる住居(たて穴建物)が約200軒(けん)、土坑(どこう)1000基(き)以上がみつかり、ムラの大きさや出土品(しゅつどひん)の量では、県内でずばぬけた規模(きぼ)の遺跡(いせき)です。とくに縄文時代中期(じょうもんじだいちゅうき)には、いくつもの大きなムラが営(いと)まれており、それぞれの様子を調べることで、縄文時代(じょうもんじだい)のムラの移りかわりの様子がわかりました。また、土偶(どぐう)だけでも1116点もありました。一つの遺跡(いせき)からの出土(しゅつど)数としては、青森県(あおもりけん)の三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)に次ぐ多さです。土偶(どぐう)は、妊娠(にんしん)した女性を表現しており、体や頭の部分には赤や白の色でもようが描(えが)かれています。縄文人(じょうもんじん)は、子孫繁栄(しそんはんえい)や森の豊かな恵みを祈りながら、わざと土偶(どぐう)を割(わ)ったと考えられます。この土偶も割(わ)られていたので、割(わ)れ口から土偶(どぐう)の作り方がわかりました。ほかにも、中部高地(ちゅうぶこうち)に特有の立体的(りったいてき)で豊かな飾りのつく土器(どき)や、水晶(すいしょう)で作った石の矢じりなどの大量の石器(せっき)、土笛(つちぶえ)、土鈴(どれい)なども出土しており、このうち5599点は、1988年と2005年に国の重要文化財(じゅうようぶんかざい)に指定されています。
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現在の様子 | 現在は、高速道路の工事で遺跡はこわされ、見学できませんが、記念碑が立てられています |
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