金生遺跡(きんせいいせき)は、八ヶ岳(やつがたけ)の南側の標高770mほどに位置し、八ヶ岳(やつがたけ)を背景に、南方に富士山(ふじさん)、西方に南アルプスの山々を望(のぞ)む場所にあります。1980年に行われた発掘調査(はっくつちょうさ)で、縄文時代後期(じょうもんじだいこうき)・晩期(ばんき)の38軒(けん)の住居(竪穴建物)とともに、1トンを超える大きな石などが運ばれ続けて造られた、円形や方形の石組(いしぐみ)や石棺墓(せっかんぼ)などから構成される、東西80m、南北15mの大きな配石遺構(はいせきいこう)が発見されました。全国的にも貴重な遺跡(いせき)であることから、その一部が1983年に国史跡(くにしせき)に指定され、現在は史跡公園(しせきこうえん)となっています。住居は、地面を深く掘りこんだ形跡が発見されていないため、平らな地面に土壁を造る壁立式住居(かべたちしきじゅうきょ)が復元されています。配石遺構(はいせきいこう)では、石剣(せっけん)、独鈷石(どっこいし)、土偶(どぐう)、お供え用の土器(どき)など数多くの祭り用の道具とともに大小の石棒(せきぼう)がたくさん出土しました。大型の石棒(せきぼう)は、円形の石組(いしぐみ)の中心に立てられていたようで、祈りの対象(たいしょう)だったと考えられます。なかでも、高さ25㎝の大型で香炉(こうろ)のような、頭に足が付いたかのような、特異な形をした中空土偶(ちゅうくうどぐう)は、金生遺跡(きんせいいせき)を代表する出土品です。また、特別な日、ハレの日に身に着けたと考えられる耳飾(かざ)りや垂飾(たれかざ)りなども大量に出土(しゅつど)しています。縄文時代(じょうもんじだい)の終わりごろになると、気温が下がり、食料もしだいに取れなくなります。そういう時に、まわりのムラから人びとが集まり、子孫(しそん)の繁栄(はんえい)や食べ物がたくさん取れることをお祈りしていたのかもしれません。土器(どき)の中には東北地方、西日本地方との交流(こうりゅう)を裏づける資料(しりょう)も出土(しゅつど)し、当時の活発な交流(こうりゅう)の様子がわかりました。
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