銚子塚古墳(ちょうしづかこふん)は、甲府盆地(こうふぼんち)の南の端(はし)、曽根丘陵(そねきゅうりょう)の緩やかな斜面、標高260mほどに位置(いち)しています。この曽根丘陵(そねきゅうりょう)のあたりは、弥生時代(やよいじだい)の終わりから古墳時代(こふんじだい)をとおして、権力者(けんりょくしゃ)の墓(はか)がつくられました。東日本最大級の前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)である銚子塚古墳(ちょうしづかこふん/全長169m)や、県下最大規模の円墳(えんぷん)である丸山塚古墳(まるやまづかこふん)などが知られています。
1928年に発見された後円部のたて穴式石室(たてあなしきせきしつ)からは、三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)をはじめ5枚の銅鏡(どうきょう)、まが玉、車輪石(しゃりんせき)・石釧(いしくしろ)、杵(きね)形石製品、鉄剣(てっけん)、鉄斧(てっぷ)、貝でつくったうで輪(わ)など豊富な副葬品(ふくそうひん)の出土(しゅつど)が知られており、銅鏡(どうきょう)の中には岡山県(おかやまけん)、群馬県(ぐんまけん)、福岡県(ふくおかけん)で出土した銅鏡(どうよう)と同じ鋳型(いがた)でつくったものなどもあります。これまでの調査により、墳丘(ふんきゅう)には葺石(ふきいし)が張(は)りつけられ、関東(かんとう)地方でも最も古い円筒埴輪(えんとうはにわ)、朝顔形埴輪(あさがおがたはにわ)、壺形埴輪(つぼがたはにわ)が立てられ、墳丘(ふんきゅう)の裾(すそ)からまわりの溝(みぞ)にかけて、お葬式(そうしき)の儀礼(ぎれい)に使われたと思われる笠(かさ)などの形の木製品や木柱などが発見されています。また、東日本の前期古墳(ぜんきこふん)では初めて、祭りの場と考えられる突出部(とっしゅつぶ)がみつかりました。古墳(こふん)のつくり方や副葬品(ふくそうひん)などから、古墳に葬(ほうむ)られた人はヤマト政権(せいけん)と強いつながりが深く、この地域が政権(せいけん)と東国支配で重要な役割(やくわり)を担(にな)っていたと考えられています。銚子塚古墳(ちょうしづかこふん)は、丸山塚古墳(まるやまこふん)とともに1930年に国史跡(くにしせき)に指定されています。また、出土した埴輪(はにわ)と木製の祭りの道具は県の有形文化財(ゆうけいぶんかざい)に指定されています。
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