山梨県

竜塚古墳

りゅうづかこふん

所在地山梨県笛吹市八代町米倉2086-51 ほか外部リンクGooglemap

主な時代古墳時代

竜塚古墳(りゅうづかこふん)は、標高365mほどの「竜安寺山(りゅうあんじやま)」とよばれる、甲府盆地(こうふぼんち)を見わたすことのできる丘の先端にあります。県内では前例のない古墳時代中期(こふんじだいちゅうき)につくられた大型の方墳(ほうふん)で、一辺約56mあります。2001~2004年にかけて、古墳(こふん)を保存(ほぞん)し、見学しやすいよう整備(せいび)するための発掘調査(はっくつちょうさ)がおこなわれました。墳丘(ふんきゅう)は2段につくられており、上の段と下の段の間にテラスのような平らな面がありました。テラスよりも上の墳丘(ふんきゅう)の斜面はふき石(いし)で覆(おお)われており、墳丘(ふんきゅう)のまわりには、幅(はば)12m前後の濠(みぞ)がめぐっています。埋葬施設(まいそうしせつ)は、墳丘の中央付近に深さ1.5メートルほどの竪穴(たてあな)を掘(ほ)り、そこに木棺(もっかん)を置いたものと考えられています。墳丘のてっぺんやまわりの溝(みぞ)から、高坏(たかつき)などの土器(どき)が数点出土(しゅつど)しましたが、副葬品(ふくそうひん)と考えられるものは、みつかっていません。甲府盆地(こうふぼんち)だけでなく、静岡(しずおか)・長野(ながの)へ通じるルートの重要な場所にあるこの古墳(こふん)は、古墳時代中期(こふんじだいちゅうき)に東日本に大型の方墳(ほうふん)が登場(とうじょう)する理由(りゆう)として、東国(とうごく)への支配(しはい)をいっそう広げようとするヤマト政権(せいけん)との関係(かんけい)があると考えられています。2004年に県の史跡(しせき)に指定されています。

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