姥塚古墳(うばづかこふん)は、甲府盆地(こうふぼんち)の南東部に位置する、直径約40m、高さ約10mの古墳時代後期(こふんじだいこうき)の円墳(えんぷん)です。南照院(なんしょういん)の境内(けいだい)にあり、1992年に本堂(ほんどう)の建替(たてか)えの時に行われた発掘調査(はっくつちょうさ)で、古墳のまわりにめぐる溝(みぞ)の一部がみつかりました。南側には横穴式石室(よこあなしきせきしつ)の入り口があいています。石室(せきしつ)の大きさは、石室(せきしつ)の入り口部分が壊(こわ)れており、入り口側にあと数mは長かったものと思われますが、残っている部分だけでも17.54m、最大高さ4.2mと非常に大きく、「東日本でいちばんの横穴式石室(よこあなしきせきしつ)」として知られています。石室(せきしつ)の奥には、奈良・平安時代(なら・へいあんじだい)につくられた南照院(なんしょういん)の木造観音像(もくぞうかんのんぞう)が祀(まつ)られており、古くから入り口が開いていたらしく、副葬品(ふくそうひん)などは確認されていません。古墳(こふん)のまわりには二之宮遺跡(にのみやいせき)、姥塚遺跡(うばづかいせき)という大きなムラのある遺跡(いせき)があり、その西側には広大な条里制(じょうりせい)にかかわる跡(あと)が残っています。姥塚古墳(うばづかこふん)に葬(ほうむ)られた人は、西側に広がる広大な田畑での生産力をもとに大きな力をもつようになり、二之宮(にのみや)、姥塚(うばづか)のムラを治めていた権力者であったのかもしれません。1965年に県の史跡として指定されています。
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