石灰岩(せっかいがん)の岩壁(がんぺき)に、東西二つの岩陰(いわかげ)があります。約2000~3000年前の土器(どき)が出土(しゅつど)し、長い間、縄文人(じょうもんじん)が利用(りよう)していたことがわかります。
東の岩陰(いわかげ)のなかで柱の穴(あな)がみつかっており、入口の前にかんたんな壁(かべ)をつくって住居(たて穴建物)の中と外を区別していました。また岩陰(いわかげ)のなかも壁(かべ)で仕切って部屋をつくっていたことが分かりました。部屋は2つあって、東の部屋には貯蔵穴(ちょぞうけつ)や炉(ろ)、墓(はか)などがみつかりましたが、西の部屋にはほとんど何もなく、生活する部屋とそうでない場所に区別していたようです。岩陰(いわかげ)や洞窟(どうくつ)の利用法がわかる、とても貴重(きちょう)な遺跡(いせき)です。
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全景
抱合層断面
靭の跡がついた縄文土器が出土