神辺(かんなべ)平野の中央あたりにある、標高(ひょうこう)37mの丘(おか)の上に広がる弥生時代(やよいじだい)のムラです。ムラは東西約250m、南北約350mの範囲(はんい)で、まわりは濠(ほり)でかこまれていました。発掘調査(はっくつちょうさ)によって、櫛(くし)もようをかいた土器(どき)が出土(しゅつど)する層(そう)よりも下の層(そう)から、ヘラでもようをかいた土器(どき)がみつかったので、弥生土器(どき)のもようがヘラ描(が)きから櫛(くし)描(が)きへと変わったことがわかりました。
ムラをか2つ作られ、それらを埋(う)めた後に、丘(おか)の全体をかこむように深さ2m、全長420mの大きな環濠(かんごう)が作られています。環濠(かんごう)の外側には、掘(ほ)った土をつみ上げて、土塁(どるい)が作られていました。これは、いま残っている日本でいちばん古い土塁(どるい)です。環濠(かんごう)の内側からは、弥生時代(やよいじだい)の住居(たて穴建物)の跡(あと)や貯蔵穴(ちょぞうけつ)、たくさんの土器(どき)や石器(せっき)がみつかっています。石器(せっき)には、石包丁(いしぼうちょう)など、稲(いね)の収穫(しゅうかく)に使う道具があることから、遺跡(いせき)のまわりに田んぼが広がっていたと考えられます。広島県(ひろしまけん)で米作りが始まったころの様子を知ることのできる遺跡(いせき)です。
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遠景
貯蔵穴(ちょぞうけつ)の跡(あと)
発見された環濠(かんごう)