丘(おか)の頂上(ちょうじょう)から東側のしゃ面にかけて、四隅突出型墳丘墓(よすみとっしゅつがたふんきゅうぼ)が5基(き)みつかりました。 四隅突出型墳丘墓(よすみとっしゅつがたふんきゅうぼ)は、弥生時代中期(やよいじだいちゅうき)から古墳時代前期(こふんじだいぜんき)にかけて、中国地方(ちゅうごくちほう)の山間部(さんかんぶ)、山陰(さんいん)、北陸(ほくりく)にみられる有力者(ゆうりょくしゃ)の墓(はか)です。四角い墳丘(ふんきゅう)の四つの隅(すみ)に、細長く外側につきだす突出部(とっしゅつぶ)がつく形をしています。
陣山墳墓群(じんやまふんぼぐん)では、どの墓(はか)からも、弥生時代中期(やよいじだいちゅうき)の土器(どき)が出土(しゅつど)していることから、短い期間の中で5基(き)の墓(はか)がつくられたと考えられます。しかし5基(き)の墓(はか)は、石の並べ方などが違っており、それぞれが特徴(とくちょう)をもってつくられています。そうしたことから、四隅突出型墳丘墓(よすみとっしゅつがたふんきゅうぼ)を作るルールができあがる前につくられた墓(はか)のようです。四隅突出型墳丘墓(よすみとっしゅつがたふんきゅうぼ)のはじまりを考えるうえで、とても大切な遺跡(いせき)です。
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四隅突出型墳丘墓(よすみとっしゅつがたふんきゅうぼ)
5つの墓が見つかったようす
出土(しゅつど)した土器