古墳時代前期(こふんじだいぜんき)のものとしては、広島県(ひろしまけん)で一番大きな前方後円墳(ぜんぽうこえんふん)です。発掘調査(はっくつちょうさ)によって、全長約77mの前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)で、墳丘(ふんきゅう)には円筒埴輪(えんとうはにわ)が並んでいました。後円部(こうえんぶ)の東側に丸い石をしいた場所があり、そこから家形の埴輪(はにわ)が5つみつかりました。埴輪(はにわ)は一定の間隔(かんかく)で並んでおり、そこにおかれた時の位置のままでした。これらの埴輪(はにわ)は、関西(かんさい)でみつかっている埴輪(はにわ)とよく似ており,甲立古墳(こうたちこふん)をつくる時には、関西の勢力(せいりょく)が深く関わっていると考えられます。4世紀後半にヤマト政権の影響(えいきょう)の強い前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)が、このような山の中につくられる例は全国的にもめずらしく、当時のヤマト政権(せいけん)の勢力(せいりょく)の動きを知るうえで重要(じゅうよう)な古墳(こふん)です。
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後円部墳頂からみた古墳(北から)
出土した家形埴輪
発掘状況(石敷区画1~3号)