三ツ城古墳(みつじょうこふん)は、古墳時代中期(こふんじだいちゅうき)の初めごろにつくられた、広島県(ひろしまけん)で一番大きな前方後円墳(ぜんぽうこえんふん/第1号墳)と、その後円部(こうえんぶ)にとなり合わせた円墳(えんぷん/第2号墳)、墳丘(ふんきゅう/第3号墳)の3基(き)からなる古墳(こふん)です。
第1号墳(だい1ごうふん)の全長は約92m、後円部(こうえんぶ)の高さは約13mあります。その墳丘(ふんきゅう)には、円筒埴輪(えんとうはにわ)が古墳(こふん)をかこむように、すきまなく並べられていました。そのほか、前方部(ぜんぽうぶ)にニワトリや馬、盾(たて)、甲冑(かっちゅう)などの形をした埴輪(はにわ)が置かれ、後円部(こうえんぶ)には家形埴輪(いえがたはにわ)がおかれています。古墳(こふん)全体では、約1800本の埴輪(はにわ)が使われており、県内ではほかに例のないほど多い数です。古墳(こふん)のしゃ面はふき石でおおわれ、くびれ部の左右ともに、祭壇(さいだん)と考えられる四角形の造出し(つくりだし)があり、やはり、まわりを埴輪(はにわ)がかこんでいます。また、古墳(こふん)を取りまくように、深さ約1m前後の濠(ほり)があります。この古墳(こふん)は、大きさこそ違うものの、ヤマト政権(せいけん)の大王墓(だいおうぼ)とほぼ同じつくりであり、古代(こだい)の安芸(あき)国の首長(しゅちょう)の墓(はか)と考えられます。
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航空写真(撮影:井手三千男 氏)
復元(ふくげん)された円筒埴輪
埴輪群が検出されたようす