6世紀につくられた前方後円墳(ぜんぽうこえんふん)です。全長68mは県内4番目、この時期のものとしては最大(さいだい)です。前方部(ぜんぽうぶ)と後円部(こうえんぶ)両方に、横穴式石室(よこあなしきせきしつ)があることが特徴(とくちょう)です。二子塚古墳(ふたごづかこふん)のある地域(ちいき)では、この時期の前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)は、ほかにありません。西日本で最後につくられた前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)の一つです。
円墳(えんぷん)しかない地域(ちいき)に、古墳時代(こふんじだい)の終わりごろになって、とつ然大きな前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)がつくられたのは、ヤマト政権(せいけん)が当時大きな力をもった吉備(きび/いまの岡山県と広島県東部)をけん制するためと考えられます。また、後円部(こうえんぶ)の石室(せきしつ)から出土(しゅつど)した刀のかざりは、ほかに例のないデザインで注目されますが、よく似たタイプの刀かざりは、美作(みまさか/いまの岡山県東北部)地域(ちいき)にもいくつかみられ、吉備(きび)の中心部を取りかこむように広がっています。吉備(きび)の周辺(しゅうへん)地域(ちいき)をヤマト政権(せいけん)が味方につけていった様子がうかがえます。
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前方部石室(ぜんぽうぶせきしつ)
出土品(しゅつどひん)
後円部石室(こうえんぶせきしつ)