1870(明治3)年、堤防(ていぼう)をつくる工事の時に発見された縄文時代(じょうもんじだい)の遺跡(いせき)です。1915(大正4)年以後、20回に近い発掘調査(はっくつちょうさ)が行われ、土器(どき)、石器(せっき)、骨角器(こっかくき)や170人分に近い人骨(じんこつ)が発見されました。これらの人骨(じんこつ)は、縄文人(じょうもんじん)の体の形や特徴(とくちょう)をとらえる研究にたいへん役だちました。埋葬(まいそう)された人骨(じんこつ)は、屈葬(くっそう)という体を曲げたものが主で、伸展葬(しんてんそう)という体を伸ばしたものも少しありました。大人(おとな)のあごの骨(ほね)には、わざと歯を抜いたあとが数多くみられました。これは、大人(おとな)になると歯を抜く抜歯(ばっし)という風習(ふうしゅう)です。アクセサリーと考えられるものも出土(しゅつど)しており、アカガイの貝がらでつくったうで輪(わ)、鹿(しか)の角(つの)で作ったうで飾(かざ)り・耳飾(みみかざ)り・腰飾(こしかざ)り、石製の丸い玉などが発見されています。
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津雲貝塚 全景(ぜんけい)
お墓(はか)に埋められた人骨(じんこつ)
お墓にうめられた第18号人骨(じんこつ)