県の南部の平野部(へいやぶ)につくられた弥生時代(やよいじだい)のムラです。ムラと共に、広い範囲(はんい)で田んぼが発見されています。田んぼは調査(ちょうさ)の範囲(はんい)の外にも広がっており、かなりの面積の田んぼがつくられていたようです。水路(すいろ)や畦(あぜ)も作られており、たくさんのお米がとれたものと思われます。
弥生時代(やよいじだい)の中頃(なかごろ)には、戦争に使う石の剣(けん)や槍(やり)などの武器が作られるようになりますが、百間川遺跡(いせき)では武器(ぶき)はあまり多く出土(しゅつど)しません。ムラを守るための濠(ほり)をもつ環濠集落(かんごうしゅうらく)も、他の地域では弥生時代(やよいじだい)の終わりごろまでつくられますが、ここでは前期末(ぜんきまつ)には濠(ほり)を埋めてしまい、その後はつくっていません。県南部のほかの遺跡(いせき)でも同じです。豊かな実りがあったため、米をめぐって周辺(しゅうへん)のムラと争う必要がなかったのではないでしょうか。
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弥生(やよい)時代の水田で、田植えの再現(さいげん)
香川県でとれるサヌカイトという石材で作った剣(けん)や槍(やり)
百間川沢田遺跡の水田と水路