岡山県

千引カナクロ谷製鉄遺跡

せんびきかなくろだにせいてついせき

所在地岡山県総社市奥坂外部リンクGooglemap

主な時代古墳時代

古墳時代後期(こふんじだいこうき)に鉄づくりが行われた、日本で最も古い製鉄遺跡(せいてついせき)です。鉄をとかす(ろ)4基(き)と、炭(すみ)を焼く(かま)2基(き)が発見されています。鉄の材料は、おもに鉄鉱石(てっこうせき)が使われています。鉄鉱石(てっこうせき)を細かくくだいて、炭(すみ)とともに(ろ)に入れてとかしますが、炭(すみ)が燃えて高温になるように、炉(ろ)に筒状(つつじょう)のふいごの羽口(はぐち)をさしこんで、炉(ろ)のなかに空気を送ったものと思われます。大量(たいりょう)の炭(すみ)を使用するため、製鉄遺跡(せいてついせき)は薪(まき)が手に入りやすい山の中につくっており、薪(まき)にする木がなくなると、次の場所に移動したようです。この遺跡(いせき)がつくられた後、市内には6世紀末、7世紀、8世紀と製鉄遺跡(せいてついせき)が続けて築(きず)かれており、いずれも鉄鉱石(てっこうせき)を主として使用しています。また、県の北部や広島県(ひろしまけん)の北部にも技術(ぎじゅつ)が伝わり、製鉄遺跡(せいてついせき)がつくられるようになりますが、ここでは砂鉄(さてつ)を原料(げんりょう)としています。各地域(ちいき)で手に入れやすい原料(げんりょう)を使用したものと考えられます。

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  • 空からみた遺跡(いせき)

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  • 空からみた製鉄炉(せいてつろ)

    空からみた製鉄炉(せいてつろ)

  • 炭(すみ)を焼く窯(かま)

    炭(すみ)を焼く窯(かま)

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